当地周辺が「上古根古屋の庄荷場の郷」と呼ばれていた時代より鎮座していたという。 |
由緒 杉山神社の史籍に於ける初見は、延喜式神明帳に武蔵国都筑郡、杉山神社とあり。当社の由緒は明らかでないが、口碑に伝えるに其の創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代、景行天皇の御代40年、東方十二国御平定の折、日本武尊、此の地方を御通過され、尊崩御の後、村民其の御徳を慕い奉りて祠を造り奉斎したと云う。 明治6年、村社に列格、同41年、村内の無格社荒神社、熊野社、皇大神宮を合併し、大正九年、神饌幣帛料供進社に指定された。戦後宗教法人として今日に至る。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
杉山神社 日本武尊は景行天皇の皇子であられ年若くして西に熊襲を平らげ、東に蝦夷を討伐して国内を平定せられた偉大な功績は普くしられております。 明治41年村内の三社、荒神社、熊野社、太神宮を合祀し、現在の社地にお遷し申し上げ新羽村の総鎮守産土神(氏神様)として、五穀豊穣、家運隆盛、商売繁盛、家内安全、無病息災、厄難消除等の神として御霊験あらたかにましまし、衣食住等人間生活の根源を開発指導せられ文化の生みの親神でありこの地方に生を享ける者としては、夢寐にも忘れることのできない大恩神にあらせられます。 公式HP |
大蛇 新羽の中之久保一帯に往古より悪事・災難、特に疫病から子供達を守るために、藁で蛇を作り、東西南北の柊に巻き付け、病い悪事を防ぎ進入を呑み込むと云う「注連引き百万遍」の行事が長い間、行われて居りました。戦争で途絶。 昭和50年代に復活され、今では毎年農家の方々と新羽小学校の児童と共に作り、一つは神社に奉納され、参拝者の皆様をお守りして居ります。 横浜市民俗無形文化財認定 社頭掲示板 |