旧武蔵国の式内社である「杉山神社」の論社の一つとされている。星川杉山神社とも呼称される。 |
由緒 杉山神社の御祭神 日本武尊 (やまとたけるのみこと) 国土平定の第一人者、日本武尊は第十二代景行天皇の第一子としてお生まれになり、敵方から日本一強いと尊称され、草薙剱 (くさなぎのつるぎ)も一段と冴えわたり、たちまち東国を一蹴しました。 御例祭」」9月19日 [杉山まつり] 例祭日は9月の19日を中心として、第二週または第三週の土・日曜日に行われます。当日は、本殿での祭儀に引き続き神輿の渡御があり、境内では献画展や奉納行事などが催されます。また、参道には露店など数多く並び、秋まつりにふさわしい神賑わいを見せております。 杉山神社のいわれ 東にはるか上総の山々、西に霊峰富士をのぞむ神の丘に鎮まります当社が初めて国史上にあらわれるのは、『続日本後記』です。その承和5年 (838年) の2月の条に「武蔵国都築郡枌 (杉) 山神」が霊験あらたかなるをもって官社に列せられたとあり、同16年 (848年) 5月の条には「武蔵国旡位扮 (杉) 山名神」が従五位下を奉授されたとあります。さらに降って、『江戸名所図会』に「新町より八町あまり北の方下星川村にあり、延喜式内 (えんぎしきない) の神社にして云々」とあるように「延喜式」神名帳に武蔵国四十四座の中に「都築郡一座 (小社) 」と記載されており、多摩川以南、都築・橘樹・久良岐三郡において唯一の式内社との伝承が古くより語り継がれております。御祭神日本武尊は、三種の神器草薙剣の神話にもあるように強い意志と決断力の御神格があり、この剱が知恵のことをあらわすことから出世・開運祈願・厄除および商売繁盛・縁結び・交通安全・金運に恵まれるとの御神徳が伝えられ、人々は幾世代にわたりその御神助を祈ってまいりました。 御神紋の三本杉 古来より、神の御心は、神託 (しんたく) 、神符 (しんぷ)などで人々に伝えられておりましたが、やがて神の御心は具体的な形でも伝えられるようになりました。それが神紋といわれるものです。当社の神紋は、社名の通り天に高くそびえる杉の紋で、三本杉はうっそうとした神聖な森を表わしております。特に、杉の枝は安産の御守りや魔除にされたほか、杉の脂は火傷や吹出物などの塗り薬に使用され、杉の樹木そのものは、屋敷の宅神、商売繁盛の福の神として広く信仰されております。また、屋久杉・神代杉に見られるように長寿のシンボルとして樹木の崇拝の中心的存在であり、全国的に見ても杉を神木とする神社が数多くあります。 境内神社」」伏見稲荷社 御祭神 本社と同一境内に鎮座する伏見稲荷社の御祭神、倉稲魂神の「うか」「うけ」は古く食物を意味する言葉で、また稲荷は「稲生り」「稲成り」の意味で神像が稲を荷なっているところから「稲荷」の字があてられたといわれます。稲荷の神はもともと農業の神ですが、米一粒が何倍にも殖えるように、広く殖産の神として商売繁盛の福の神はもとより諸産業の守護神として、あらゆる職業の人から信仰されています。 御神徳 商売繁盛・家内安全・交通安全・災難除・子孫繁栄また、学業成就・芸能上達などです。 明神さまの厄除 (やくよけ) 人間の一生の間には、身体的、社会的に危機あるいは転機として受けとめられている年齢があります。このうち、災難や病気が降りかかる年を厄年と申しております。時代や地域によって若干異なりますが、現在では、男性は二十五歳、四十二歳、六十一歳、女性が十三歳、十九歳、三十三歳、三十七歳が厄年とされています。特に男性の四十二歳はシニに通じ、女性の三十三歳はサンザンの意味として最も恐れられています。厄年をのがれるため、当社では杉山大神 (明神さま) の御神徳をいただいて、厄除の御祈祷を御奉仕申し上げております。厄年を迎えるにあたって心身の厄をはらい、すがすがしい気持ちで毎日を過ごされますよう、心よりお祈りいたします。 主な年中行事 歳旦祭 1月元旦、 成人祭 1月15日、 節分祭 立春の前日、 初午祭 2月の初午の日、 紀元祭 2月11日、 勧学・入社奉告祭 3月31日、 夏祭 6月第二週又は第三週の土・日曜日、 大祓 6月30日、 例祭 9月第二週又は第三週の土・日曜日、 七五三祭 11月中、 大祓 12月31日、 除夜祭 12月31日。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
杉山神社 杉山神社が文献にあらわれるのは約千年前、平安の時代にさかのぼります。 ここでは『続日本後紀』や『延喜式』『神名帳』などにおける記述をご紹介しましょう。 まず日本書紀をはじめとする六国史のひとつ『続日本後紀』には、貞和5年(838年)2月22日の条に、杉山神社に霊験、すなわち神さまによるご利益があるとして、朝廷より幣帛(ヘイハク)と呼ばれる捧げ物を授かったことが記されています。嘉祥元年(848年)5月22日には、杉山神社の大神が神階(神に冠せられた位)従五位下を授けられたことが記されています。 また、当時の基本法典細則として編纂された『延喜式(エンギシキ)』の9巻と10巻は、朝廷が重視していた神社を一覧にまとめた『神名帳』となっており、これには国家より幣帛を奉る全国の神社2861社(鎮座神3132座)が記載されています。うち武蔵国には44座が記載され、都筑郡には杉山神社の名が見られます。 なお現在ではこれらの神社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で「式内社」と呼び、格式の高いお社であることの証としています。 公式HP |
杉山神社 およそ千二百年の歴史を持つ星川杉山神社は、東に横浜の港、西に霊峰富士山を望む横浜市保土ケ谷区の高台に鎮座しています。 古くから杉や松などの緑に恵まれ、昭和以前の時代にはそれらの木々が境内全体を真四角に囲むほどだったといいます。高台に置かれた木々の重箱のような姿は昔の人々に「杉山大明神(すぎやまだいみょうじん)の重箱山(じゅうばこやま)」という愛称で親しまれ、敬われました。横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ、地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていたようです。 平安時代や江戸時代に書かれた古い書物をひもとくと、杉山神社の霊験の高さ、すなわち神さまのご神徳に関する記述がいくつも見つかります。そのため、昔も今も近隣の人々はもちろんのこと、遠くからお参りに訪れる人々が後を絶ちません。 公式HP2 |