天武天皇の白鳳3年9月に、安房国の安房神社の社主忌部勝麿勝麻呂が神託によつて朝廷に奏上し、武藏の杉山の岡に神籬をたてて、高木神の神籬を立て、そこに天日鷲命と阿八別彦命(由布津主命)とを招き祭り、弟の義麻呂に奉齋せしめた、それ故杉山神社という。 |
杉山神社 勅願所式内武蔵國都筑郡之一座當國三ノ宮枌山神社祭神由布津命 傅記云由布津命ハ天日鷲命之孫也 天武天皇白鳳3年9月堅田主命二十代ノ孫忌部勝麻呂依御霊而奏天朝武蔵國枌山乃國ニ立神籬右大神ヲ奉リ枌山社ト號シ奉ル 勝麻呂ノ弟義麻呂祭主トシテ奉仕 麻ノ貢ヲ奉リキ仁明天皇承和5年預宮幣ニ嘉祥9年5月授従五位下封田ヲ寄玉フ 遥後元暦2年正月21日依御願而従鎌倉殿御奉幣有之タリ鎮座記元1210余年也 合資由来 昭和43年10月8日 神奈川縣指令之第二九三四號ヲ以テ御認可 神奈川縣都筑郡中川村茅ケ崎字境田2098番地村社枌山神社祭神五十猛命 被合併神社同東前808番地無格社神明社祭神天照皇大命 同字825番地天王社祭神素盞鳴命 同字627番地稲荷社祭神稲倉魂命 右三社ハ村社枌山神社に合祀 空社地立木ハ村社基本財産ニ編入本社ノ経営成 大正9年10月指定村社ニ昇格 同年10月13日中川村長供進使トシテ奉告祭ノ式ヲ挙ゲタリ碑ヲ建テ以後世ニ傅フ 大正9年10月13日 氏子中 二子石工小俣刻 社頭石碑 |
杉山神社 杉山は須岐夜萬と訓べし〇祭神五十猛命、(地名記)○在所分明ならず、(地名記云、吉田村字杉山、式社考云、小机郷小机村、参考云、茅ケ崎村、孰れかしらず、) 神位 官社 続日本後紀、承和5年2月庚戌、武蔵國都筑郡杉山神殿預乏官幣以霊験也、同15年5月庚辰、奉授武蔵國無位杉山名神從五位下 神社覈録 |
境田貝塚 境田貝塚は、ハマグリや温暖種のハイガイなどを主体とした縄文時代前期(約6000〜5500年前)の貝塚です。貝塚は、物の捨て場(ゴミ捨て場)で、ムラのまわりなどに貝殻等を捨て、積み重なって出来たものです。 現在よりも温暖な気候であったこの時代、港北ニュータウンの中央を流れる早淵川流域には海が入り込んでいました(縄文海進)、入り江周辺の丘の上には貝塚を伴うムラがいくつか形成され、その最奥部の海辺を見下ろす場所に位置している境田貝塚もそうしたムラの一つと考えられます。 港北ニュータウン土地区画事業に伴う発掘調査では、弥生時代・古墳時代の住居跡等が発見されていますが、貝塚をつくった時代の人々の住居跡は、まだ確認されていません。 社頭掲示板 |