八幡神社
はちまんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】稗田神社 武蔵国 荏原郡鎮座

   【現社名】八幡神社
   【住所】東京都大田区久が原2ー18ー4
       北緯35度34分47秒,東経139度41分42秒
   【祭神】譽田別命
   【例祭】9月第1土曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平神護元年(765)9月豊前国宇佐八幡宮を勧請
       文久2年(1862)造営
       明治6年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】稲荷神社

徳川氏が入国の後、久が原は馬込領と六郷領に二分、八幡神社も、馬込領鎮守の八幡神社(当社)と、六郷領鎮守の八幡神社(久が原4丁目鎮座)に別れた。
『日本神社総覧』では当社を稗田神社に比定している。


久が原東部八幡神社

社伝によりますと、久が原東部八幡神社の草創は天平神護元(765)年。宇佐八幡宮より勧請、創建されたという事で御座います。天正18(1590)年、久ヶ原村が馬込領と六郷領に分けられた際、八幡神社も東西に分けられました。恐らくは、ここから“東部八幡神社”という呼ばれ方になったので御座いましょう。
大田区文化財  社殿
 入母屋造。茅葺(火災予防のため銅板で覆う)の社殿は、文久2年(1862)の建築といわれる。社殿は、欅(けやき)造りで、軒廻りは簡素ながら蟇股(かえるまた)、斗?(ときょう)をもち、周囲に廻縁を備え勾欄(こうらん)をつけている。向拝(ごはい)は銅板葺。厚い茅葺の社殿は区内でも数が少ない。また、花肘木(はなひじき)、宝珠柱(ほうじゅばしら)など神社建築の様式を整えており、屋根は蓑甲(みのこう)の破風口(はふぐち)に見られる深い曲縁など特色もある。
   昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会

社頭掲示板




久が原東部 八幡神社の由緒

御祭神 誉田別命(別名十五代 應神天皇)
 御神像 長七寸の甲冑を帯して座せる木像鎮座
御創建の由来  御創建は天平神護年間(765)と伝えられ、豊前(大分県)の宇佐八幡宮より御分霊を勧請奉斎、久が原台地の一番の高所に祀られた。徳川氏が入国してから、東側の馬込領(向・むかい)西側の六郷領(原・はら)二分され、当社は馬込領久が原の「鎮守さま」として地域の住民から厚い信仰を受けて来ました。社格 明治6年村社に列せらる。 本殿 切妻造、千木、鰹魚木付、銅板葺、弘化元年(1844)再建  拝殿 入母屋造、銅板葺、唐破風向拝付、文久2年(1862)竣功
 社殿は、本殿、幣殿、拝殿が一体化しており、規模は一番大きい 社殿は正面三間×側面二間 昭和42年(1967)茅屋根の葺き 替え、さらに昭和53年(1978)には銅板に葺き替えられ、同時に本殿外壁の漆喰塗り工事が行われた。
昭和49年(1974)2月大田区文化財指定。
○現境内地 436坪(1441.33u) ○元別当 本光寺
○末社稲荷神社(宇迦之魂命)木造流造、建立年代不明
○宝物 屏風二枚(貞明皇后下賜品)
祈願のすすめ 初宮参り・厄除招福・家内安全・長寿祈願・車祓交通安全
学業成就・商売繁昌・工事安全・病気平癒等

社頭掲示板



社殿

大田区文化財
社殿
本殿は、切妻造、千木・堅魚木付き。幣殿は、両下造。拝殿は入母屋造、向唐破風向拝付き。いずれも屋根は銅板葺である。
社殿は、北東を正面とし、本殿・幣殿・拝殿が連結して一棟を構成している。
本殿は弘化元年(1844)の再建、拝殿は文久2年(1862)に建てられたと伝えられる。指定当時は、厚い茅葺の入母屋造の屋根であったが、昭和52年(1977)、火災予防のため、銅板に葺き替えられた。
蓑甲の破風口の曲縁が深いこと、籠彫の持ち送りを多用して装飾過多であること等、江戸末期の神社建築の特色を伝えている。
昭和49年2月2日指定
大田区教育委員会

社頭掲示板



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