戦国時代の1489(延徳元)年、旧下野国佐野から旧鵜ノ木村へ移住してきた天明五郎右衛門光虎が八幡大神を奉斎し創建したとされる。 天明(てんみょう)家は、平安時代に旧河内国から佐野へ移住した鍛冶師を祖とする一族で、当地一帯を開拓し当地の名主となった。 当社は天明家の邸内社だったと見られているが、延喜式内小社「稗田神社」の論社の一つとする説がある。 |
奨兵義会紀念碑の沿革 奨兵義会紀念碑は、明治35年(1902年)8月、鵜ノ木八幡神社境内の西北の一隅に、旧鵜ノ木村及び旧鵜ノ木山谷(現雪谷大塚町の一部)に在住の奨励会員により、共役の義務に服する子弟を奨励支援し、その功績を顕彰するために、創建されました。 昭和21年(1946年)第二次世界大戦後の混乱期に、境内に理蔵され、五十有余年を経過しました。 紀念碑は、鵜ノ木八幡神社社殿の建て替えを期に、平成11年(1999年)2月、発掘され、同13年(2001年)8月、鵜ノ木八幡神社及び奨励会員の子孫等の後援により、旧跡地に復元建立されました。 平成13年8月吉日 奨兵義会紀念碑復元委員会 社頭掲示板 |