坂本神社諏訪社と通称されている。 茄子川深沢に鎮座していたが、延文2年(1357)3月野火この神社が野火によって焼失し再建されたが、元の深沢の位置に建立せず現在の諏訪神社に遷宮したもので往古の坂本神社の継承が諏訪神社と言われている。 坂本神社八幡宮と当社は式内社を争ったが、両社は坂本神社の社号を使わないこととし、それぞれ從前の称号に復した。從つて当社は坂本神社を承けていると信じながらも諏訪神社を名乗ることとなつた。八幡神社の場合も同様である。 |
坂本神社 式内 坂本神社諏訪社遷座630年 併せて大修復糀竣工記念碑 当神社は延文2年酉三月(1357)この地に再建されて昭和63年のこの年を以て630年の長年月を経て来たのである。たまたま同年に拝殿、石玉垣、石段等神社境内の大修復工事を施工するによりここに記念碑を建立する。 式内坂本神社諏訪社略記 この神社の創立は詳らかではないが、明治12年の神社明細帳の由緒書には「往古坂本地に反別十五町歩余を有せし大社にて坂本神社と号す。延文2年酉3月にこの地に移す。至今坂本の旧跡官有地十六町歩有り、その他宮ノ下、宮ノ前禰宜屋の旧跡有之」と記されている、即ち茄子川深沢に坂本神社旧跡の石碑が建っているがこの神社が野火によって焼失し再建されたが、元の深沢の位置に建立せず現在の諏訪神社に遷宮したもので往古の坂本神社の継承がすわ神社と言われている。 祭神 主祭神 建御名方神 準祭神 誉田別命 準祭神 速玉男命 建御名方神は大国主と高志沼河比売の御子の神で昔から諏訪大明神と親しまれ敬まれつつ幅広い信仰を有し御神徳の数々は枚挙にいとまないが、古くからある信仰には雨や風を司る竜神の信仰や水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著明である。 誉田別尊は仲哀天皇の皇子で御母は神功皇后である。御在世の御名を大鞆別尊と申し、一に誉田別尊とも胎中天皇とも称える。天皇は深く内外の政治に大御心を用いられ、或いは文字を奨励し、或いは殖産興業を盛んにし、更には数多の池溝を開いて潅漑のの便を計り、又大船を作られて諸外国との交通の道をも開かれたので、常時国内は勿論韓土を始め外国との交流は甚だ頻繁となった、されば天皇は厄除開運の御神徳と共に我が国文教の祖、殖産興業の守護神として崇められた。 速玉男命は伊弉諾尊の御子神で速玉は映霊で皇祖伊弉諾尊の映え輝く広大な御徳をたたえた御神名があり、現世安穏即ち心願成就、家内安全、業務繁栄、大漁満足等の御神徳高く朝野の信仰が篤い。 社殿、本殿は縦三間一尺五寸、横三間七寸の三間社流れ造り銅葺で当時の神社建築の代表的な作りであり、その巧妙豪華さは言うまでもなく、近傍神社には例を見ない、尚この外拝殿神饌殿、神楽殿、直会殿、社務所、手水舎等整備されている。 末社 本殿東側に神明社、御鍬社、秋葉社、金刀比羅社、天神社、山神社、州原社等末社七社が祀ってある。 祭典 1月1日 元旦祭 2月末日 祈年祭 6月30日 夏越祭 10月第三日曜日 秋季例大祭 11月23日 新嘗祭 御神紋 梶の葉、葉が三枚あるので三本梶ともいう 鎮座地 岐阜県中津川市茄子川字津戸井1792番地の1 神社有地 (1)境内地 一町六反六畝十四歩(14,503u) (2)山地 十二町二反九畝二十二歩(121,742u) 昭和63年11月吉日 社頭石碑 |
諏訪神社 按ズルニ當社ハ中山道筋字坂本ヨリ南七八町許ニアリテ今ノ往還遠シト雖モ、古ヘノ坂本郷ト云ヘルハ茄子川村・千旦林村邊ヲ廣ク称ヘシモノナルベケレバ、今坂本ノ字アル邊ノミニ拘泥テ、遠近ヲ以テ論ズべキニアラズ、此社地旧境内五萬六千百二十三坪アリ、古木モ多ク、社殿モ嚴シク、都テ古社ノ景況アリ、今ノ中山道ヨリモ遙カニ見エル大ナル森林ナリコレ尋常ノ村社ニアラズ、里人ノ式内社ト云ヘルモ然アルヘキ神社ナリ 神社明細帳 |
諏訪神社 文武2年創建。和名抄所載。延喜式神名帳恵那郡三座の一。豊城入彦命を祭神とする坂本神社にして、常に国司より幣物を供され、又、天暦年間の美濃國神名帳に従五位上。帳内社として坂本郷字坂本に古くより鎮座せる大社なるも、延文2年3月野火の為焼失し、字津戸井に遷座建御名方神外二柱を奉斎し、爾後延宝慶長以降修復を加へ現在諏訪神社と称へ、旧境内内五万六千余坪に及ぶと謂ふ。現今境内一町四反二十七歩を有し、本殿幣殿神饌殿等整ひ神明神社御鍬神社秋葉神社金刀比羅社天神社州原社山神社等の境内七社あり。 岐阜県神社庁 |