古来より余り異称はなかつた。 山麓。本殿は昇ったところにある。 鎭座地が僅かな戸数のため、大杉村等の助けを借りて細々と維持してきたと思われる。 |
多為神社 延喜年間創立。往古より西田原北手井組十有戸にて修繕維持せり。天保10年頃社殿腐朽棟札紛失祭祀中絶せしことあり。明治5年頃迄、隣村大杉村信徒祭事を補佐し、寛文5年代官根尾三右ェ門松井取右ェ門山林草木伐採禁止の制札を立て、管理す。明治4年内務省達を以て式内神社と定めらる。笠松県庁より菱川賢二出張を命ぜられ、年々祭祀を行ひたり。明治6年1月4日、隣八ヶ村(西田原村、小迫間村・稲口村・迫間村・大杉村・東田原村・市橋村・深萱村)の郷社と定められたり。 岐阜県神社庁 |