神田神社
かんだじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】神田神社 美濃国 賀茂郡鎮座

   【現社名】神田神社
   【住所】岐阜県加茂郡東白川村神土604番地
       北緯35度38分37秒、東経137度19分27秒
   【祭神】伊邪那岐命 伊邪那美命 大国主命 少彦名命 速玉男命
       (合祀)猿田比古命 大山祇命 水分命 天照皇大神 菊理比女命
       大雀命 火産霊命 誉田別命 須佐之男命

   【例祭】9月29日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】養老2年(718)鎭座
       貞観6年8月15日美濃国神田従五位上
       嘉慶2年(1388)源忠廣が再興
       後足利末期に廃絶
       永緑元年(1558)再興
       慶長2年(1597)12月7日城主遠藤胤直寄進
       享保2年(1717)10月9日再興
       明治元年白山妙大権現は神田神社に改称
       明治4年郷社
       明治40年3月27日神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「白山妙理大権現」と称していた
   【社殿】本殿銅板葺神明造
       幣殿・拝殿・神饌殿・齋館・社務所

   【境内社】

元正天皇養老2年の勧請と言う。


由緒

当社は元正天皇養老2年の勧請と言い伝う。延喜式神名帳に賀茂郡神田神社、美濃国神名帳に賀茂従五位下神田明神、又三代実録に貞観6年8月15日美濃国神田従五位上とあるは当神社なりと。然るに、承平年間以後の変乱相続き数百年の間に頽廃して神社も朽失せんとするに至り、嘉慶2年12月源忠広が再興修復し堂宇皆浮居氏風に擬し神号も白山妙大権現と称せり。
明治元年神仏の混淆が禁止されて往古に復して式内神田神社と称し、同年11月苗木藩より神祇官に上申す。同3年9月苗木県知事遠山友録ほか随員の参拝あり、以後同庁より祭祀料として毎年米7斗を永世寄進され、知・参事の参拝するを例とす。明治4年苗木県第5区の郷社と定めらる。翌5年苗木県を廃し岐阜県に合併と共に永世寄進は廃絶せられ岐阜県第138区の郷社と定めらる。更に、同6年第16区2小区郷社と定められると共に本殿の改築竣功をみて同年5月11日遷座祭を行ひ村内の小社5社を合祀せり。明治40年3月27日岐阜県告示第80号を以て神饌幣帛料を供進する事を得べき神社に指定せらる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




式内神田神社社歴

本社の祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・大国主命・少彦名命、速玉男命を祀り後世には村内小社の次の神を合祀す。
天照皇大神・菊理比女命・猿田比古命・大山祇命・水分神・大雀命・火産霊命・誉田別命・須佐之男命の神である。
本社は元正天皇の御代養老2年今から1272年前初めて此の地に奉祀をし鎮座給い平安初期延喜年間に式内社として国家への登録神社となり延喜式神名帳にも載る古社なりと伝ふ、然るに変遷する世世に変乱相続き神社の頽廃もあり之を憂いて嘉応2年今から602年前源忠広が再興し其の後も享禄2年に安江清正(源忠広の後裔)、永禄元年には安江與三衛門正次、安江新兵衛正吉等が又慶長2年に遠藤小八郎胤直によって再興される。此の年の造営奉行として神土郷代官大坪新七長吉が当たる。
慶応4年3月(9月には明治と改め)神仏混淆が禁止され中世以来の白山妙理大権現と称した神号を往古に復し式内神田神社と改称するを苗木藩より神祇官に上申聴許を得て苗木藩第五区の郷社と定めらる。翌4月に神殿の改造、9月には幣使殿を新築す。此の年の廃藩置県により苗木県となり9月29日には苗木県知事遠山禄随員多数を伴い本社を参詣する。
昭和15年9月神殿を後方に遷し其の他の施設の修復工事を行う。昭和27年7月1日より例祭には神社庁長が参向し神社本庁の幣帛料と共に金幣を奉る神社となる。平成2年9月には御大典を記念して再度神殿を後方に一段高所に遷し拝殿の増築、神饌所の新建等を行い奉祀せり。
平成3年9月吉日

社頭掲示板




神田神社

当社は元正天皇養老2年の勧請と言い伝う。延喜式神名帳に賀茂郡神田神社、美濃国神名帳に賀茂従五位下神田明神、又三代実録に貞観6年8月15日美濃国神田従五位上とあるは当神社なりと。然るに、承平年間以後の変乱相続き数百年の間に頽廃して神社も朽失せんとするに至り、嘉慶2年12月源忠広が再興修復し堂宇皆浮居氏風に擬し神号も白山妙大権現と称せり。明治元年神仏の混淆が禁止されて往古に復して式内神田神社と称し、同年11月苗木藩より神祇官に上申す。同3年9月苗木県知事遠山友録ほか随員の参拝あり、以後同庁より祭祀料として毎年米7斗を永世寄進され、知・参事の参拝するを例とす。明治4年苗木県第5区の郷社と定めらる。翌5年苗木県を廃し岐阜県に合併と共に永世寄進は廃絶せられ岐阜県第138区の郷社と定めらる。更に、同6年第16区2小区郷社と定められると共に本殿の改築竣功をみて同年5月11日遷座祭を行ひ村内の小社5社を合祀せり。明治40年3月27日岐阜県告示第80号を以て神饌幣帛料を供進する事を得べき神社に指定せらる。
特殊神事 平成20年より、山車の引き回しが再興し、「絆山車」として行われる。

岐阜県神社庁



神田神社

神田は加牟多と訓べし、和名鈔、(郷名部)神田、〇祭神在所等詳ならず
類社
近江國滋賀郡神田神社の下見合すべし
神位
三代実録、貞観6年8月15日己巳、美濃國從五位下神田神授從五位上、本國神名帳、從五位下神田明神、(位階不審)

神社覈録



郷社 神田神社

祭神
伊邪那岐神 伊邪那美神 大國主神 少彦名神 速玉男神
社伝に云く、当社は元正天皇養老2年の草創にして、延喜の制式の小社に列する賀茂郡九座の一なりと、即ち神名帳考証に、「神田神社、稻霊豊宇気姫命、神社覈録に、祭神在所等詳ならず、三代実録、貞観6年8月15日己巳、美濃國從五位下神田神授從五位上と見え、或は從五位下神田明神(位階不審)とあり(本国神各帳本国神名記)神祇志料に、「神田神社、今神田村にあり」と見ゆ、然るに美濃國式社考には、神田社所在未考となす、新撰美濃志に、「神土村は越原の西南にあり、和名類聚鈔に賀茂郡神田とあるはここか」、延喜神名式に、「賀茂郡神田神社」と志るせり、社記に云く、草創以来、元弘より延いて保元平治の乱に遭ひ、社殿漸く衰頽に属せしが、嘉慶2年12月29日源忠廣之を憂へて再興し、且修理費として社田二反歩を寄進す、爾来両度修理を加へ、慶長2年12月7日遠藤小八郎胤直(当地の地頭たり)改築を行ひ、っ神土郷中谷村の内田三反歩を寄進す、此時の造営奉行は当郷代官大坪新七郎長吉なり、降つて慶長15年8月社頭悉く没収せられて、亦寸地を余さず、以て維新に至る、是より先中世浮屠氏に化せられて、白山妙理大権現と称せしが。是に至りて旧号に復す、明治4年大に社殿を改造し、此年9月28日盛大なる祭典を行ふ、同6年11月郷社に列せらる。
社殿は本殿、押殿、調進所、幣使殿等を具備し、境内坪数2981坪(官有地第一種)を有す。

明治神社誌料



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