元正天皇養老2年の勧請と言う。 |
由緒 当社は元正天皇養老2年の勧請と言い伝う。延喜式神名帳に賀茂郡神田神社、美濃国神名帳に賀茂従五位下神田明神、又三代実録に貞観6年8月15日美濃国神田従五位上とあるは当神社なりと。然るに、承平年間以後の変乱相続き数百年の間に頽廃して神社も朽失せんとするに至り、嘉慶2年12月源忠広が再興修復し堂宇皆浮居氏風に擬し神号も白山妙大権現と称せり。 明治元年神仏の混淆が禁止されて往古に復して式内神田神社と称し、同年11月苗木藩より神祇官に上申す。同3年9月苗木県知事遠山友録ほか随員の参拝あり、以後同庁より祭祀料として毎年米7斗を永世寄進され、知・参事の参拝するを例とす。明治4年苗木県第5区の郷社と定めらる。翌5年苗木県を廃し岐阜県に合併と共に永世寄進は廃絶せられ岐阜県第138区の郷社と定めらる。更に、同6年第16区2小区郷社と定められると共に本殿の改築竣功をみて同年5月11日遷座祭を行ひ村内の小社5社を合祀せり。明治40年3月27日岐阜県告示第80号を以て神饌幣帛料を供進する事を得べき神社に指定せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
式内神田神社社歴 本社の祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・大国主命・少彦名命、速玉男命を祀り後世には村内小社の次の神を合祀す。 天照皇大神・菊理比女命・猿田比古命・大山祇命・水分神・大雀命・火産霊命・誉田別命・須佐之男命の神である。 本社は元正天皇の御代養老2年今から1272年前初めて此の地に奉祀をし鎮座給い平安初期延喜年間に式内社として国家への登録神社となり延喜式神名帳にも載る古社なりと伝ふ、然るに変遷する世世に変乱相続き神社の頽廃もあり之を憂いて嘉応2年今から602年前源忠広が再興し其の後も享禄2年に安江清正(源忠広の後裔)、永禄元年には安江與三衛門正次、安江新兵衛正吉等が又慶長2年に遠藤小八郎胤直によって再興される。此の年の造営奉行として神土郷代官大坪新七長吉が当たる。 慶応4年3月(9月には明治と改め)神仏混淆が禁止され中世以来の白山妙理大権現と称した神号を往古に復し式内神田神社と改称するを苗木藩より神祇官に上申聴許を得て苗木藩第五区の郷社と定めらる。翌4月に神殿の改造、9月には幣使殿を新築す。此の年の廃藩置県により苗木県となり9月29日には苗木県知事遠山禄随員多数を伴い本社を参詣する。 昭和15年9月神殿を後方に遷し其の他の施設の修復工事を行う。昭和27年7月1日より例祭には神社庁長が参向し神社本庁の幣帛料と共に金幣を奉る神社となる。平成2年9月には御大典を記念して再度神殿を後方に一段高所に遷し拝殿の増築、神饌所の新建等を行い奉祀せり。 平成3年9月吉日 社頭掲示板 |
神田神社 当社は元正天皇養老2年の勧請と言い伝う。延喜式神名帳に賀茂郡神田神社、美濃国神名帳に賀茂従五位下神田明神、又三代実録に貞観6年8月15日美濃国神田従五位上とあるは当神社なりと。然るに、承平年間以後の変乱相続き数百年の間に頽廃して神社も朽失せんとするに至り、嘉慶2年12月源忠広が再興修復し堂宇皆浮居氏風に擬し神号も白山妙大権現と称せり。明治元年神仏の混淆が禁止されて往古に復して式内神田神社と称し、同年11月苗木藩より神祇官に上申す。同3年9月苗木県知事遠山友録ほか随員の参拝あり、以後同庁より祭祀料として毎年米7斗を永世寄進され、知・参事の参拝するを例とす。明治4年苗木県第5区の郷社と定めらる。翌5年苗木県を廃し岐阜県に合併と共に永世寄進は廃絶せられ岐阜県第138区の郷社と定めらる。更に、同6年第16区2小区郷社と定められると共に本殿の改築竣功をみて同年5月11日遷座祭を行ひ村内の小社5社を合祀せり。明治40年3月27日岐阜県告示第80号を以て神饌幣帛料を供進する事を得べき神社に指定せらる。 特殊神事 平成20年より、山車の引き回しが再興し、「絆山車」として行われる。 岐阜県神社庁 |