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集落よりやや離れた平坦部の津保川沿いに鎭座している。 御神体として、甚だ古い木像の男神一柱・女神二柱があり、高さ30p程の立像である。 |
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大山神社 祭神 大山祇神 由緒 延喜式神名帳に加茂郡九坐の一社にして従三位下となり明治六年郷社に列し昭和20年10月宗教法人に届け出て昭和36年3月銀幣社に指定される。 社頭掲示板 |
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大山神社 式内社にして延喜式神名帳に加茂郡九坐の内大山神社とあり。美濃國神名帳に加茂郡座二十九社の内従五位下大山明神とあり。大日本史所載大山神社は大山村に在り。加茂明神と称すとあり。明治6年美濃國第十大区八小区(滝田、大山、小牧、大平賀、羽生、高畑、加治田、伊深の九ヶ村)郷社に列せらる。大正3年7月7日村社白山神社、稲荷神社、無格社秋葉神社、天神社、諏訪神社、合祀併合。大正12年3月岐阜県に届出。年月日不詳。津保川出水の砌本殿迄満水し、その時橋斎と申す一人男あり。御神像を菰に包み、字田中座と申す処迄供養し、同所に仮殿を設けて奉安之減水後本殿へ遷座し奉りし由なり。中座及び橋斎屋敷と称する処其の古跡なり。 岐阜県神社庁 |
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大山神社 由緒 創立不詳 延喜式(905)神名帳に加茂郡九坐の一社にして従三位下となる 明治6年 郷社 明治40年3月 神餞幣帛料供進神社指定 昭和20年10月 宗教法人届出 昭和36年3月 銀幣社指定 明治の初頃、社が朽ち大変に荒れ果てていたのを明治5年5月滝田村の板津政富が憂い、私財を投して工費143円50銭で社を復旧し、併せて祭費用にと山林若干町歩を寄進して神社の復興に尽力し、今日の神社となる 社頭掲示板 |
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大山神社 大山は於保夜萬と訓べし○祭神詳ならず○大山村に在す、今白山宮と称す、(式社考) 類社 出雲國神門郡、隠岐國知夫郡大山神社、各一座 神位 本國神名帳、從五位下大山明神 神社覈録 |
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郷社 大山神社 祭神 不詳 創建年代及び由緒等詳ならすと雖も、美濃國式社考に「式の神名帳の本郡九座の一なりと、大山神社、在賀茂郡大山村北山上、去大田駅北二里許、今俗称白山宮云々」と見え一に祭神大山祇神なるべしと(神名帳考証)神社覈録に、「察神詳ならず、大山村に在す、今白山宮と称す、本國神名帳、從五位下大山明神(美濃国神名帳)と載せ、神祇志料には「加茂明神と云ふ」と見え新撰美濃志に「大山村は瀧田の北にあり、御料四百三十九石一斗二升三合」とあり、社記によれば、神宝はいと古き木像にして、男神一柱女神二柱とおぼしき、御丈いつれも一尺一寸許なる霊体ましませども、今や手足の部分は朽損して、孰れの神霊とも見分けがたしとそ、明治6年1月郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿、遙拝所、廊下等を具備し、境内坪数1155坪は明治41年5月19日下戻し許可せられしものの由。 明治神社誌料 |