坂祝神社
さかほぎじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】坂祝神社 美濃国 賀茂郡鎮座

   【現社名】坂祝神社
   【住所】岐阜県加茂郡坂祝町酒倉字加茂山1507番地の2
       北緯35度26分17秒,東経136度59分16秒
   【祭神】正勝大山祇大神
   【例祭】4月第1日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創祀年代不明
       明治6年郷社
       明治40年3月27日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】祝部
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「加茂明神」と称していた
   【社殿】本殿檜皮葺神明造
       祝詞殿・拝殿・社務所

   【境内社】白山神社・稲荷神社・御鍬神社・津島神社・山神神社・猿田彦神社

美濃加茂市太田町の式内縣主神社、同市蜂屋町の帳内加茂神社と共に古来三賀茂神社と称されていた。
祝部は、近くの県主神社に奉仕した祝部と推測される。
県主神社の祭神彦坐王の後裔鴨県主族と密接な関係をもつ祝部の祖を祀つたもの、という推定も成り立つ。
本殿は加茂山の中腹にあり、拝殿から本殿までの石段が急である。


坂祝神社

創立不詳。旧号加茂大明神又坂祝神社。延喜式神明帳に曰く、美濃國賀茂郡九座の内坂祝神社美濃國神名帳曰く(賀茂郡二十九座の内)従五位下祝部神社旧笠松縣管轄美濃國式内神社考証曰く坂祝神社賀茂郡蜂屋の庄酒倉村にあり。渡邊信喜順拝表曰く、坂祝神社賀茂郡酒倉村此村名酒倉を往古は社号の如く坂祝なりけんを後音便に訛て如く此唱習へることとはならん。浅野重治美濃國鎮座諸神記曰く、賀茂郡従五位下酒部明神しかない坂祝神社は酒倉村にあり。抑も後冷泉天皇御宇庚平5年八幡太郎義家加茂次郎義綱陸州阿部貞任征伐として加茂次郎東山道発向の途中当社へ参詣誅伐の功を遂げしめ賜はば、社殿を造営せん事を祈誓願を籠められ、終に奏功凱軍の後山田時定をして奉行となし、社殿修造せしめ、且つ社領田を寄付せらる。山田円斎時定を以て社殿修造せしめられし時、当郡太田村縣主神社、当郡蜂屋村賀茂神社へ寄付社領田等より田七反歩当社へも同時に寄付ありしならん。当社は古来本村の村社なりしが、明治五年加茂郡大十六大区十一小区の郷社仰せ付けらる。当社と太田町縣主神社と上蜂屋村加茂神社とを古来三加茂と尊称し最も有名の神社なり。大正三年社殿その他の建物再建。

岐阜県神社庁



銀幣社 坂祝神社

創立年紀 不祥
927年に編纂された延喜式神名帳に、美濃の国加茂郡の九座の内に坂祝神社と記されている。かつては当地方の総氏神としてあがめられていたとみられ、坂祝の地名の由来とされている。
〈主祭神〉正勝山津見神
伊邪那美尊が最後に生んだ御子である火之迦具槌神が亡くなったとき、その遺骸の頭から生れた神様(古事記)である。
正勝(正真正銘の)山津見(山の神)という意味から、神社が鎮座する加茂山の麓(酒倉地区)を守る神との神格をお持ちである。(五穀豊穣・商売繁盛・家運隆盛等々)

社頭掲示板



坂祝神社

坂祝は佐加乃波布里と訓べし○祭神在所等詳ならず
神位
本國神名帳、從五位下祝部明神 

神社覈録



郷社 坂祝神社

祭神 正勝山祇神
創建年代詳ならすと雖も、延喜の制式の小社に列す、即ち神名帳考証に、「坂祝神杜、正勝山津見、正勝山祇、旧事紀云、大山祇、亦名正勝山津見神」とあり、神社覈録に、「祭神在所等詳ならず、美濃国神名帳に従五位下祝部明神」と載せたり、また笠松縣管轄美濃国式内神社考証に、「加茂郡蜂屋庄酒倉村にあり加茂明神といふ(類拝志、神祇志)」とあり、美濃國鎮座諸神記(浅野重治編)に、「加茂郡從五位下坂部明神式内、坂祝神社歟」と見え、酒倉村市岡猛彦式社考稿及び岩井本神名帳古語紹等蔵する所皆同じ、而して後冷泉天皇御宇康平5年、八幡太郎義家并に賀茂次郎義綱等の勅を奉じて東夷阿倍頁任、宗任を征伐するに当り、途次当社及び近郷太田駅縣主神杜に詣でて戦捷を祈り、凱旋の後山田時定を奉行として、社殿を改造し、且社領田を寄附せらる、其文に、
「康平5年八幡太郎義家、賀茂次郎義綱公為御兄弟陸奥國阿倍貞任、宗任御誅罰時、依名馬城下義家公奉推込獄屋、義綱公悲嘆命肝、賀茂明神誓一国一宇建立、依此祈願朝敵忽御追伐、御凱陣之後、山田時定為奉行、有御建立、被寄附社領田者也
于時延久4年3月日 山田円斎時定記」
とあり、疑しきも社記の儘を記すべし、延暦寺本美濃神名帳には「賀茂郡二十九社、從五位下祝部明神」と載せ、殊に仮名まで附せり、これ恐らくは祝と税とを書写の間に示偏と禾偏とを間連たるものなるべきも、チカラと振假名を施すに至りては、杜撰も亦甚だしと云ふべし、当社は此く由緒あるを以て古来上下の崇仰深く、從つて社域の、如きも、維新前は實に一萬千二十四坪を領せりと云ふ、殊に神威の顯著なるは、雨を祈るに未だ曾て霊験あらざることなきを以て、賽者数十里を遠しとせすして至ること是なり、明治5年第十六大区十一小区の郷社に列せらる。
社殿は本殿、祭文殿、拝殿、神門、石燈籠等を具備し、境内坪数3200坪〔官有地等一種)を有し、全山老松古杉を以て埋められ、實に幽邃の境たり。

明治神社誌料



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