里伝に蘇原村は蘇我氏の食封であつたとされ、蘇我氏との関係が深い神社と推測されている。 神社境内から展望される一帯の風景が大和の飛鳥地方の風景に類似しているという。新興住宅地の背後の小山の上にあり。給水塔の近くに鎮座する。 |
由緒 各務原市内の式内社の内、最も位の高い正三位の当飛鳥田神社で有ります。 蘇原古市場町北山の小山にあり、この山の麓に展開する集落に「飛鳥」の名が今も続いていることや、神社境内から展望される一帯の風景が大和の飛鳥地方の風景に類似していることなど、同じ古市場町に有る加佐美神社の社格が当神社に次いて高く御祭神として祀り、また近くの寺島町に今も礎石を残す山田寺が有り大和朝廷で活躍した蘇我倉山田石川麿公によって創建されたと伝えられていることなどを考えると、この蘇原庄は、大和朝廷の勢力と深いつなが りを持ったであろうことが想像されます。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
飛鳥田神社 飛鳥田神社由緒 御祭神 大中津彦命(飛鳥地方祖神) 御例祭 3月15日 正三位 延喜式国内神名帳 各務原市内5社の最高位 創建 大化5年(649)第36代孝徳天皇 同神社は、蘇原古市場町北山(今の清住町)小山の頂きにあり(昔は訪れる人も稀であったが)今は泉産業株式会社の奉納で参道・境内も整備され参拝の人々も日々多くなって居ります。この神社のある山の麓に展開する集落に「飛鳥」の名が今も続いていること、神社境内から展望される一帯の風景が大和の飛鳥地方の風景に類似していること、同じ古市場に鎮座される、式内加佐美神社は貞観6年(865)1117年前第56代清和天皇時創建された、社格旧各務郡内七社の内で高いこと。近く寺島町に今も礎石を残す山田寺が大和の飛鳥に本拠をおいた右大臣蘇我倉山田石川麻呂公(加佐美神社の御祭神の一柱)によって創建されたと伝えらることなどを考える時飛鳥田神社を祀った人々がかっては大和朝廷の勢力と深いつながりを持ったであろうことが想像されます。 なお因みに右大臣蘇我倉山田石川麻呂公の墳墓と伝えられる丘が蘇原宮代町の田の中にあり宮塚と呼ばれています。 国々を一元的に治めるための大和朝廷の努力は続けられ、やがて大化の新政の訪れと共に国々は美濃国に統一され国家体制が確立してゆきます。 神社も時代の変遷につれて新しい神社が祀られ姿をかえたりします。しかし古い自然集落の神社は昔のままの鎮座地に続いてきているものが多くかっての豪族達の氏神は時代の変遷の中で(村の鎮守の神)として崇敬されて居ります。 昭和54年12月吉日 蘇原地区十九社鎮座 宮司 清水春夫 社頭掲示板 |
飛鳥田神社 各務原市内の式内社の内、最も位の高い正三位の当飛鳥田神社で有ります。蘇原古市場町北山の小山にあり、この山の麓に展開する集落に「飛鳥」の名が今も続いていることや、神社境内から展望される一帯の風景が大和の飛鳥地方の風景に類似していることなど、同じ古市場町に有る加佐美神社の社格が当神社に次いて高く御祭神として祀り、また近くの寺島町に今も礎石を残す山田寺が有り大和朝廷で活躍した蘇我倉山田石川麿公によって創建されたと伝えられていることなどを考えると、この蘇原庄は、大和朝廷の勢力と深いつながりを持ったであろうことが想像されます。 岐阜県神社庁 |
飛鳥田神社 飛鳥田ば阿須加多と訓べし〇祭神詳ならず○市場飛鳥村に在す(明細記) 類社 山城國紀伊郡飛鳥田神社 神位、 本國神名帳、正三位飛鳥田明神 神社覈録 |