伊波乃西神社
いわのにしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊波乃西神社 美濃国 各務郡鎮座
          (旧地)日子坐命墓

   【現社名】伊波乃西神社
   【住所】岐阜県岐阜市岩田西3丁目421番地
       北緯35度26分49秒,東経136度50分6秒
   【祭神】日子坐王 (配祀)八瓜入日子王
   【例祭】4月5日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】康和5年(1103)6月に神祇官より遣使
       明治8年現地に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は現社殿の西北100m古墳上
        明治8年現地に

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「岩西神」「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】

現社殿の西北100mに祭神日子坐王命の御陵とされる古墳跡がある。現在封土は流失し、高さ2.4m、幅1.8mの巨岩が露出している。
元はこの古墳の地にあったが明治8年宮内省より御陵墓と認定されたため現地に遷宮した。
神社鎮座地は、東山道の官道のうち、長良古津の渡しを持つ要所である。


由緒

勧請年月は不詳である。延喜式神名帳に「美濃国各務郡七社の内、伊波乃西神社」とある。清水山の山ふところ、檜の巨木数百本から成る美しい林に蔽われて鎮座する。
祭神日子坐王は、人皇第九代開化天皇の皇子で、伊奈波神社の祭神、丹波道主命の父君にあたらせられる。古事記中巻、水垣宮の段(崇神天皇の御代)によれば「日子坐王をば、旦波の国につかわして、玖賀耳の御笠(クガミミノミカサ)を殺さしめ給いき」とある。史上に表れた御勲功のはじめである。なお、クガミミとは、国神の義であって、旦波の国に国神ミカサが住んでいたのである。
王は、その後、勅命により東日本統治の大任をおび、美濃国各務郡岩田に下り、治山治水に着手され且農耕の業をすすめられ、殖産興業につくされた。八瓜入日子王(ヤツリイリヒコノミコ)は、日子坐王の皇子である。神大根王(カムオオネノミコ)と申し上げ、父君の後をつがれて、この地方の開発に功が多かった。日子坐王薨去の後、御陵を清水山の中腹に築かれた。当社の西に隣接している。
明治8年12月に至り、日子坐王陵と確認されたので、宮内省陵墓寮の所管に移された。御陵墓祭は、3月21日であるが、毎年10月11日には、滋賀県木之本町の老若男女数十名が観光バスを連ねて参拝する。これは、その地に日子坐王をはじめ、御一族数柱を祭神とする神社がある為、10月10日例祭の後御陵参拝を行事としているからに他ならない

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




伊波乃西神社

祭神 日子坐命
この社は延喜式神明帳に「美濃国各務郡七社内伊波乃西神社」としてあり、二千有余年の間我々の祖先が崇敬し続けてきた格式の高い由緒ある神社である。
祭神、日子坐命は人皇第九代開化天皇の第四皇子で、四道将軍丹波道主命の父君にあたる。御子八爪命が美濃前国造に命ぜられるにあたり同道してこの地にこられ、地域の安定と人々の生活向上に心血を注がれ、住民の信望を一身に集められた、薨ぜられるにあたり、住民はこの地方開拓の祖神として北山中腹に手厚く葬り崇めたてまつった。古来この墓所には社殿があり、ここを伊波乃西神社と称していたが明治8年宮内省より御陵墓と認定されたため現地に遷宮し奉ったものである。
昭和61年 銀幣社に昇格す
平成3年4月 氏子総代

社頭掲示板



伊波乃西神社

勧請年月は不詳である。延喜式神名帳に「美濃国各務郡七社の内、伊波乃西神社」とある。清水山の山ふところ、檜の巨木数百本から成る美しい林に蔽われて鎮座する。祭神日子坐王は、人皇第九代開化天皇の皇子で、伊奈波神社の祭神、丹波道主命の父君にあたらせられる。古事記中巻、水垣宮の段(崇神天皇の御代)によれば「日子坐王をば、旦波の国につかわして、玖賀耳の御笠(クガミミノミカサ)を殺さしめ給いき」とある。史上に表れた御勲功のはじめである。なお、クガミミとは、国神の義であって、旦波の国に国神ミカサが住んでいたのである。王は、その後、勅命により東日本統治の大任をおび、美濃国各務郡岩田に下り、治山治水に着手され且農耕の業をすすめられ、殖産興業につくされた。八瓜入日子王(ヤツリイリヒコノミコ)は、日子坐王の皇子である。神大根王(カムオオネノミコ)と申し上げ、父君の後をつがれて、この地方の開発に功が多かった。日子坐王薨去の後、御陵を清水山の中腹に築かれた。当社の西に隣接している。明治8年12月に至り、日子坐王陵と確認されたので、宮内省陵墓寮の所管に移された。御陵墓祭は、3月21日であるが、毎年10月11日には、滋賀県木之本町の老若男女数10名が観光バスを連ねて参拝する。これは、その地に日子坐王をはじめ、御一族数柱を祭神とする神社がある為、10月10日例祭の後御陵参拝を行事としているからに他ならない。

岐阜県神社庁



伊波乃西神社由緒略記

1.祭神 日子坐命 開化天皇皇子
1.勧請年 不詳
1.延喜式神名帳に「美濃国各務郡七社 伊波乃西神社」とあります。
1.日子坐命(美濃国各務郡 美濃国「柞神社」造祖)は当地方開拓の祖神にて又伊奈波神社御主神の外曽父に当らせられ二千余年の長きに亘り我々祖先が崇敬しつづけてきた由緒深き神社であります。
1.伊波乃西神社に続き日子坐命御墓あり明治8年12月御陵墓に確定の旨兆域を定められましたが旧来は御墓と社を并せて「式内伊波乃西神社」とたたえ奉る。
昭和61年12月 氏子総代

社頭掲示板



伊波乃西神社

伊波乃西は假字也○祭神詳ならず○岩田村に在す、今岩西明神と称す、(明細記)
神位
本國神名帳、正四位下伊波野西明神、
雑事
朝野群戴六云、康和5年6月10日、奏亀ト御体御卜坐美濃國伊波乃西神、云々、社司等依過穢神事崇給、遣使科中祓可令祓清奉仕事、宮主從五位下行少祐ト部宿禰兼艮、中臣從五位上行権少副大中臣朝臣輔清

神社覈録



美濃国INDEXへ        TOPページへ


学校統廃合