津神社
つじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】方県津神社 美濃国 方県郡鎮座

   【現社名】津神社
   【住所】岐阜県岐阜市曽我屋 1631
       北緯35度25分43秒,東経136度42分16秒
   【祭神】縣須美命 武渟川別命
   【例祭】
   【社格】旧郷社
   【由緒】推古天皇之御宇勢州安濃津より勧請という

   【関係氏族】鷲見氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「方県津大明神」と称していた
   【社殿】本殿桧皮葺神明造
       拝殿・社務所

   【境内社】

恐らく長良川と根尾川は曾我屋より上流で一つになり、大川となつていたので、ここに「津」があり、神社が鎭座したのであろう。
本殿は直径11m程の円墳とも見える盛土の上に築造されている。
社伝によると、推古天皇の時代、伊勢国安濃郡津(現・三重県津市)より勧請されたという。勧請元の神社名は不明である。
別の説では加賀国江沼郡(現・石川県加賀市)の潮津神社の勧請という。


津神社

創祀不詳と雖も、一説に延喜式神明町内美濃國方縣郡二座の内方縣津神社。美濃國神明帳方縣郡十一座の内方縣津明神は当社なりと云ふ。美濃國古蹟考に方縣郡方縣津神社在御麻津庄曽我屋村号津大明神近隣七邑当社を以て産土神と為す。神前池謂ふ。夕部池を御手洗と為す云々。古老伝曰く、当社は縣須身命、武淳川別命也。日本紀崇神紀10年秋9月朔日遣大産命於北陸、淳川別命於東海云々。武淳川別命この時同在此の地殺後祭崇当社云々。市岡猛彦二社考稿曰く、方縣津神社は八代村また曽我屋村にありて、津大明神と称す。且つ曽我屋村農関谷伊は元津神社社務人が家々あり。方縣津神社累縁記曰く、当社の濫觴は崇神天皇阿賀田須命を中央に祀り、左には景行天皇右には武恕賀和命を崇め奉りて方縣津神社と唱ふ云々。右に依りて考ふれば、式内神社ならんかと思はる。例年3月27日祭典執行す。

岐阜県神社庁



方縣津神社

方縣は郡名に同じ、津は都と訓べし、○祭神詳ならず○福光郷八代に在す(明細記)
神位
本國神名帳、從二位方縣津明神

神社覈録



郷社 津神社

祭神 縣須美命 武淳川別命
創建年代詳ならず、或は云ふ、当社は延喜式内の方縣郡二座の中なる方縣津神社なるべしと、然れども、今神社覈録、神祇志料并に美濃國式社考等を按ずるに、敦れも方縣津神社は福光郷八代村に在る由云へば。蓋し本社と異なるべし、新撰美濃志に「曾我屋村は一日市場の北にありて、元和高帳に曾我部とかけり、分脈系図に「利仁将軍の裔孫坂戸判官藤源則明の子妙見堂別当能秀住美濃蘇合郷」とあるはここの事なるべし、坂戸、夕部、曾我部、蘇合みなかよふ言葉なり、加納領千三百四十三石九升、云々」と見ゆ、されど当社の由緒等多くは詳ならず、明治6年郷社に列す、同24年10月28日大震災のため、社殿等悉く倒潰せしも、今や本殿、拝殿を再建せりと云ふ、境内坪数351坪(官有地第一種)あり。

明治神社誌料



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