宇波刀神社
うばとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】宇波刀神社 美濃国 安八郡鎮座

   【現社名】宇波刀神社
   【住所】岐阜県安八郡安八町森部373番地の10
       北緯35度20分37秒,東経136度41分5秒
   【祭神】天照大神 豊受大神 倭姫命 家津御子神
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】@慶長8年以前不詳
        A慶長9年以後の300年余は現在地の北東200mの堤外地
        B大正14年に木曾川上流改修工事のため、字表403の1に移転
        C境内地の東部の長良川堤増築されて低湿地となり、
         昭和8年7月字表398の3に再移転
        D川犀川改修工事のため、昭和9年12月16日移転完了


   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿萱葺神明造
       祝詞殿

   【境内社】

倭姫命巡幸の遺跡である。
長良川本流・支派犀川の堤防下に位置し、大河川筋のため五回以上も移座を余儀なくされたという。


宇波刀神社

安八町史跡
宇波刀神社
第11代垂仁天皇の頃(凡そ1700年前)倭姫命は、天照大神を奉載し近江の国から美濃の国伊久良河宮に4年間ご滞在になり、尾張の国にお移りになる途中お立寄になった由緒深いお社であります。
昔は萱葺屋根丸柱造りで、伊勢神宮と同じつくりで尾張藩主徳川家の保護を受け、奉行によって造営されました。
明治初年長良川上流改修工事のため二度移転をし、更に昭和9年犀川改修工事により、現在地に遷座申し上げたのであります。
宇波刀神社宝物
1.神鏡
 ・一面 直径凡そ15cm裏面に伊久良河宮宇波刀神社内宮と書かれています。
 ・一面 直径凡そ14cm宇波刀神社外宮と書かれています。
2.古棟札4枚
 ・1枚には伊久良河宮、宇波刀神社と書かれています。
 ・1枚には伊久良河宮宇波刀神社内宮と書かれています。
3.縁起書版木3枚
 ・1枚には寛政癸丑(1793)暦板刻、河村右馬之助と書かれています。
安八町教育委員会

社頭掲示板



宇波刀神社

垂仁天皇の御世創建。延喜式神明帳に安八郡宇波刀神社とあるは当社なりと云ふ。社号を亦伊勢大神宮或いは内宮、亦伊久良河宮とも称す。垂仁天皇の御世倭姫命天照大神を奉し、美濃國に遷幸の時、当國に四年奉斎し、次に尾張國に遷り給ふと云ふ。其の事日本書紀に倭姫命世記元々集等に詳なり。当社神鏡裏面の中央に宇波刀神社右に伊久良河宮、左に内宮と彫刻あり。又古棟札の面に宇波刀神社其の肩書に伊久良河宮と記し(年号文字摩消して不明)慶長9年正月の棟札にも中央に宇波刀神社内宮肩書に伊久良河宮とあり。此の神鏡、古棟札は、故あって近年迄旧社人の河村家に秘蔵し、世に知られざりしが、今発見して本殿内に納む。尚旧社人河村氏に当社の古傳を記せし元禄、安永年間の旧記あり。亦当社は萱葺屋根、丸柱造りにて、伊勢神宮を模擬せり。嘉永5年11月名古屋藩主徳川義直の命を受けて其の臣瀧川豊前稲葉兵部奉行し、之を再営せし旨其の旧記棟札現存す。又、旧社地は二反二畝十歩あり。除地なりしが、長良川筋に変墺せし故慶長9年今の地に遷すと云ふ。大正6年10月2日旧字村社宇波刀外宮及字利面村社熊野神社を合併す。木曽川上流改修工事の為昭和3年8月20日移転。然るに木曽川上流改修工事の結果当社境内地の東部に沿ふ長良川堤防増築せられ、低湿地となり、不適当の故を以て昭和8年7月30日表398の3に移転をなす。然るに木曽川支流犀川改修工事の為、昭和9年12月16日現在の地一色373の10へ移転完了せり。

岐阜県神社庁



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