宇波刀神社
うわとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】宇波刀神社 美濃国 安八郡鎮座

   【現社名】宇波刀神社
   【住所】岐阜県安八郡神戸町神戸字八幡956番地
       北緯35度25分18秒,東経136度36分42秒
   【祭神】宇波刀大神
   【例祭】3月23日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】寛永7(1630)正月造営
       正保4年(1647)2月造営
       元禄16年(1702)5月造営
       享保6年(1721)造営
       天明五年(1785)造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「於門大明神」「岡戸大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】

中世延暦寺領平野荘の中核善学院の鎭守となつていた。
中古すでに字義・所在・祭神などを忘却し、神社自体が移座・廃絶・合祀されていたのではないか。
現在御神体は県社日吉神社の相殿に祀られている。一説によれば、明治初期の混乱から神体を守るために、宇波刀神社の神体は日吉神社に移されたという。


宇波刀神社

創建年紀不詳なるも、延喜式神明帳安八郡四座の内にして美濃國神名帳に曰く、従三位於門明神とあり。又古は五條大明神とも称す。五條とは古此の地を五條保と云ひしに依れるが、明治3年名古屋藩に於いて式内宇波刀神社と改訂の旨達せらる。旧記の中に富田伊豆守利綱の法度状あり。旧記名古屋藩徳川義直により燈明田五畝歩の寄付ありしも、維新の際上げ地となる亦古棟札の内元禄享保の記には岡戸大明神とあり。

岐阜県神社庁



宇波刀神社

宇波刀は假字也○祭神在所等詳ならず
類社
甲斐國巨摩郡宇波刀神社の條見合すべし
神位
本國神名帳、從一位放門明神 

神社覈録



郷社 宇波刀神社

祭神 不詳
創建年代詳ならず、社伝によれば。祭神不詳なれども、蓋し男女二柱の神にして、恐らく女神は後に配祀せしものならんか、而して二柱とも御著衣は白色にして、御丈凡八寸位の極めて古代の彫刻に成れる立体の木像に坐ますとそ、本社は延喜式神名帳に載する所の宇波刀神社(神祇志料)、之れなり、神社覈録に、「祭神在所等詳ならず」と当社は国帳に、従一位放門明神とあり、又一に放門大明神とも称す古は善学院の境内にありて其寺の鎮守なりき(美濃神名記新撰美濃志)当國帳又從一位大国玉明神と云ふが見ゆ、今於門の近地に三輪明神ありと云へば、大国玉即是ならんか、口碑によれば、古来当社を五條大明神と称す、蓋し此地古名五條保と呼びしに因ると、或は然らんか、又社記によれば、昔時岡戸大明神とも称したるが如し、そは現に蔵収せる元禄、享保の棟札に此く記せるとなり、当社は此く由緒ある神社なるを以て、古来國主等の崇敬厚し、富田伊豆守利綱の法度歌を有せるにても知らるるのみならず、旧名古屋藩主徳川義直は燈明田として五畝歩を寄附し、代々相伝へて維新の際に至り、一たび上地となりしが。幾もなく払下げらる、然れども往時山門の僧徒等威権を逞うして日吉山王権現を擁するに方りては朝野亦当社を顧みず、是を以て社殿漸く頽廃してまた祭祀に堪へざるに及び、止むなく仮りに日吉神社に含祀するに至らしが、其後世人漸く神慮の程をかしこみて、社殿を新築鎮遷す、明治3年旧名古屋藩より式内宇波刀神社と改訂の旨達せられ、幾もなく郷社に列せらる。
社殿は一宇にして、境内坪数683坪(官有地第一種)を有し、郁て清栖の神境なり。

明治神社誌料



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