長田神社
ながたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】長田神社 美作国 大庭郡鎮座

   【現社名】長田神社
   【住所】岡山県真庭市蒜山下長田1097
       北緯35度17分18秒  東経133度44分19秒
   【祭神】事代主命
       (配祀)天照大神 素盞嗚命 迩迩藝命 大穴牟遲命
       (合祀)大御食津神 大己貴神 仲哀天皇 品陀別命 神功皇后 田心姫命
       湍津姫命 市杵嶋姫命 品陀別命 武内宿禰 息長帶姫命 素盞嗚命 猿田彦命
       事代主命 天照大神 素盞嗚命 高オカ神 闇オカ神 火之迦具土神

   【例祭】10月26日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】貞観6年(864)8月従五位上
       明徳2年(1391)氏子より鐘奉献
       天文年間(1532−55)尼子晴久社殿建築寄進

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・神饌殿・随神門・手水舎

   【境内社】

当社を式内長田神社の後身とする伝承がある。


由緒

鎮座地 岡山県真庭郡八束村下長田1097番地
御祭神 事代主命 天照大神 素盞嗚命 迩迩芸命 大穴牟遅命
合祀神 (明治42年12月12日合祀)
    飯守神社 大御食津神           上長田字宮ノ本
    国作神社 大己貴神            上長田字宮代 
    八幡神社 仲哀天皇 品陀別命 神功皇后  上長田字花園
    宗像神社 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命 下長田字宮田
    八幡神社 品陀別命 武内宿袮 息長帯姫命 下長田字野田
    荒魂神社 素盞嗚命 猿田彦命       上長田字道目木
    荒魂神社 事代主命 天照大神 素盞嗚命  下長田字山根
    オカ神社  高オカ神 闇オカ神        下長田字原
    愛宕神社 火之迦具土神          下長田字西原
祭日  3月26日 祈年祭
    5月5日  御田植祭         
    6月15日 蓮華祭
    10月26日 例祭 
    11月26日 新嘗祭
御由緒 創建年月は不詳であるが延喜式神明帳に小十座の一、美作国長田神社とある。又「三代実録」に「貞観6年(864年)8月己巳美作国従五位下長田神社授従五位上」とあり、元布施郷一宮、美作国九宮に当たり中世には午頭天皇とも称し、今日に至も「テンノウサン」の愛称で近隣より崇拝されている。天文年間に尼子式部小輔晴久社殿を建築寄進慶安2己丑九月に美作国森内記より神鏡一面の奉納あり、その他津山城主松平家勝山城主三浦家などよりも、祭費の献供がしばしば行なわれている。
明徳2年氏子より奉献された高さ3尺2寸、径1尺6寸の鐘は戦国兵乱の際に陣鐘として持ち去られ、現在は倉吉市長谷寺に所蔵され鳥取県の重要文化財に指定されている。
元郷社で現在の本殿は明治10年に、鳥居は昭和55年に新築されたものである。
特殊神事 5月5日のお田植祭は拝殿にて鋤、鍬、馬鍬、肥桶、大足等を用い、菖蒲の葉を角状に頭に付け牛に扮した氏子が百姓頭の指図により苗代準備より始め本殿の田植準備まで、機械化される以前の古例に従って行い宮司が菖蒲を苗に見立てて早稲、中手、奥稲と分けその歳の豊作祈願と共に作況を占う。又特殊神饌として洗米に黒豆、刻み菖蒲を混ぜた「ウブコメ」を供え「オサン」と称する役掌によってお産の行事があり、氏子繁盛、安産祈願と共にお産の難易を占う神事である。
境内社 真名井神社 天忍穂耳命 天津日子根命 熊野久須毘命 市杵島姫命 
天菩卑能命 活津日子根命 田心比賣命 多岐都姫命
姫宮神社 伊邪那美命           
若宮神社 伊邪那岐命 素戔嗚命 猿田彦命 倉稲魂命 経津主命 武甕槌命
大山祇命 迦具槌命 菅原神 大歳神
御崎神社 童女神

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




長田神社

長田神社のお田植祭
蒜山教育事務組合指定無形民俗文化財
当社には五月五日に行われる「お田植祭』があります。
拝殿で百姓頭、田人、また、牛の角に見たてた菖蒲の葉を額につけ、牛にふんする氏子奉仕者が、祭具の犂、馬鍬、鍬、大足(田下駄)などを使って、苗代から田植えまでの所作を演じ同時にお産の神事もあり、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願する。
創始のころははつきりしないが、祭りに使う農具には安政4歳丁巳(1857)の墨書がある。
蘇山教育事務組合教育委員会

社頭掲示板



長田神社

当社は、延喜式神名帳に小十座の一、美作国長田神社とある。また、三代実録に貞観6年8月15日美作国従五位下長田神社授従五位上とあり、布施郷一宮美作国九宮とある。
中古には牛頭天王とも称している。天文年中尼子晴久が、社殿を建築し、寄進した。慶安2年美作国主森内記が神鏡一面を寄進した。
明治12年上長田、下長田所在の九社を合祀した。大正11年郷社に列格した。

岡山県神社庁



長田神社

由緒 当社の創建年月は不詳であるが、「延喜式」神名帳にその名を連ねた古社であり、「三代実録」に「貞観6年(864年)美作国従下位下長田神社授従五位上」と見え、恐らくは上古、当地開発とともに鎮斎せられた氏神であろう。
中古神名を牛頭天王と称し、古来より諸民の崇敬篤いなかにも天文年中、尼子式部小輔晴久、社殿を建築寄進し、慶安2巳丑(1649年)9月、美作国主森内記は神鏡一面を寄進する。なお津山城主松平家、勝山城主三浦家などより、祭資の献供がしばしばあった。
明治42年(1908年)10月21日、
宮の本 飯守神社〔大御食津命)
宮城 国作神社(大巳貴命)
花園 八幡神社(仲哀天皇 神宮皇后 品陀別命)
宮田 宗像神社(田心姫命 瑞津姫命 市杵島姫命)
野田 八幡神社(品陀別命 武内宿禰 息長帯姫命)
道目木 荒魂神社(素盞鳴命)
山根 荒魂神社(天照大神 素盞鳴命 事代主命)
原 寵神社(高おかみ神 闇おかみ神)
西原 愛宕神社〔火之迦具土命) 
中島 荒魂神社(素盞鳴命)
林 荒魂神社(素盞鳴命)
が合祀された。
大正11年(1913年)10月3日、神饌幣帛料を供進することを得る神社に指定された。
大正11年(1924年)1月30日郷社に列格された。
その他
古典祭典 当社の祭事のうち御田植祭は、創始のころは不詳であるが、現在使用の祭具(農具の摸型)には安政4年(1857年)と墨書があり、元禄4年(1691年)編の「作陽誌」に「5月5日神田植をなす」と記載されているから、それ以前のものである。祭日5月5日の献供品は一切頭屋(長鉾家)より調製持参し、@産米(洗米に炒った黒豆及び茗荷の茎を刻んだものを混ぜる)A赤飯B煮しめCするめDうど等を供える。これに菖蒲・御子(人形)を神饌とともに供する。
田植の行事は百姓頭役と田人役〔牛の役〕が前半苗代の準備・後半本田の準備を拝殿で行うが、それぞれ実際の農具をかたどった木製の農具を使用し、牛による荒起こしより始まり、鍬代までを忠実に再現する。
本田の準備が終わった後、宮司は菖蒲の束を稲苗に見立て、三方の上に三つに分け、その年の作柄を占う。お田植祭の終わりに本殿に昇段の途中、懐中より「御子代」を階段の途中に落とす、此れの位置によりその年のお産の難易を占う。
稲作の豊穣と氏子の繁栄(安産)を願っての祭である。昭和47年(1972年〕12月8日に重要無形民俗文化財(現真庭市指定)に指定された。
特殊な古例大祭に際しての神幸祭には鉾田(一の鉾)長鉾(二の鉾)真壁(三の鉾)の三家が世襲により木製の鉾を持って随行する等、極めて特殊な古例が伝えられている。
梵鐘 当神社の什物であったが、戦国兵乱の際に陣鐘として持ち去られ、現在鳥取県倉吉市の長谷寺に所蔵されている。銘文(刻字)には「牛頭天王姫宮前、作州布施之庄長田村之上下萬民一同、願主各人現當二世成就故也浄太夫敬白、明徳2年癸酉(1391年)8月8日、大願主教超禅門」とある。もし、この鐘が当神社にあれば蒜山地方最古の金石文である。

岡山県神社庁真庭支部



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