久世神社
くせじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】形部神社 美作国 大庭郡鎮座

   【現社名】久世神社
   【住所】岡山県真庭市久世1433,1434-1
       北緯35度5分15秒,東経133度44分38秒
   【祭神】神阿陀都媛神 (配祀)素盞嗚神 大國主神
   【例祭】10月25日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】貞観6年(864年)8月従五位上
       永禄12年(1569年)火災
       享保17年(1732年)6月正五位
       明治6年(1873年)2月現社号に改称
       明治12年(1879年)5月10日郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       幣殿 拝殿 社務所 神輿庫 御迂座場 忠魂碑

   【境内社】白猪臣神社・稲荷神社・姫神社・荒神社

口碑によると、往古は形部神社と称し、後に江戸時代になってから生建大明神と改称した。


久世神社

当社は永禄12年火災により、書類を焼失したので、創建年月及び由緒は不詳であるが、聖武天皇(天平年間)の棟札、木彫神像2躰が現存する。
 口碑によると、往古は形部神社と称し、後に生建大明神と改称した。
 美作国官社10処の内に入る延喜式内社である。
 貞観6年8月従5位上被叙社田を賜り、享保17年6月正5位に叙せられた。
 明治6年2月久世神社と改称した。明治12年5月10日郷社に列格。
 古式(平安以前)熟饌及び古儀の祭典が伝わっており、例大祭には他社の神輿と相会し、「五社祝詞」を奏し古式膝餅と天の甜酒(タムサケ)を供す。

岡山県神社庁



久世神社

由緒 当社は永禄12年(1569年)祝融の災に罹り古文書等悉く焼失し創立の縁由年暦は不詳であるが、口碑に因れば往古形部神社と称せしを、後仏法隆盛に伴い生健大明神と改称、久世郷の産土神である。貞観6年(864年)8月従五位上に叙せられ、享保17年(1732年)6月宗源宣旨正一位に叙せらる。嘗ては「宮高制」と唱え久世村・三阪村・鍋屋村より造営・祭典其他諸費を分課していた。又、毎年大祭の砌は山久世の八幡神社、朝日神社、鍋屋八幡神社、三栄神社の当社へ集会膝餅甜酒の式が伝承せられた。明治9年(1876年)山久世八幡深雪にて参加不能を期に新しく惣の八幡神社の参加を得て五社立会祭りの伝統を継承した。現今エスパス広場での五社祝詞は久世神社大前での儀を簡略したものである。
古くは神官家として山野・影山・豊田の三家が存したが、下社家五名の子孫を宮人と唱え、一新迄祭儀に従事、今も「子ノ刻祭」は宮司と宮人による大祭前の秘儀である。明治6年(1873年)2月「久世神社」と改称、同12年(1879年)郷社に改定せられる。
古来、国主・領主代々尊崇篤く奇附物古器物天平峙代の古棟札等あり、又丈六尺有余の木像二躯ありて好古の人千有余年の作と称し旧社の証となすに足るとも。 当社の鎮座地は古来「カタベヤマ」と称せられて居り文字にては「方辺山」と記せるも「形部山」と記されしこともあらむか。
社名は上古、形部神社(従五位上)
中世、生健大明神〔宗源宣旨、正一位〕
現今、久世神社と三度変迂ありしも「古社神明帳」に拠れば官社十処の一なり。
祭神は主神を神阿陀都姫命とし、此の神見目美わしきより木花開耶姫命と称へらる。天孫瓊瓊杵命の妃にして海幸彦山幸彦の母、神武天皇の曾祖母にあたらせられる。
相殿に素盞鳴命、大己貴命、倭姫命を祀る古来子育ての神として著名である。
神社境内には大祀に際しての御迂座場を有し、西端には忠魂碑を蔵する。境内坪数7589坪、境内地5363坪、山林保有面積約18町歩。有償譲渡せる境外地は往古此の地方での競馬場であり、又県北最初の競輪大会を行った場所でもある。戦後農地解放運動の頃、兎角の議論・運動が行われたが「飛行場演習」の名目にて愛知県豊川特科部隊の来町を得て総合運動公園に整備せらる。現今は中国五県大学野球のホームグラウンドであり、小・中学生より老クに至る球技場として歓声が森にこだましている。
明治35五年(1902年)6月8日幣殿竝拝殿建築
明治37年(1904年)11月9日本殿迂座祭
大正2年(1913年)御大典記念事業として社務所建築
その他
球場の東奥の段は戦後久世農林高等学校の県立移転の条件として実習地を有することを條件とせられていたのに対応して、神社より町へ貸与し必要要件を満たしたとして県立移管になったものであるが未だ嘗てサンキュウの声は聞こえない、農高県立移管後の境外地は通産省の進める近隣公園整備として提供〔約一町歩、約六町歩の山林に現金750万円を上乗せして交換した。750万円は1000万円にして基本財産とした。その節真庭旭ライオンズクラブの草加部(現家畜市場)の少年の森を一番奥へ移設し、クラブによって毎年整備補修が続けられている。神社としては環境整備に約半世紀を要したことになる。尚、境内の照葉樹林は極めて貴重なる太古以来の遣産なり。因みに野烏は22種を観察する。高松宮殿下は岡山国体の砌宮芝のサッカー会場にご台臨に相成り、時恰も10月25日午前10時神輿の出御に臨まれ本部席中に於いてスックと起立されたお姿は時空を超えた皇統のご対面の観があった。
三榮神社祭神の天孫瓊々杵命と久世神社祭神の木花開耶姫命とは夫婦神であり、女神の許へ男神が通われる姿そのものが久世立会祭の本姿と思われる。また、この際に特殊神事として神習い仕え奉る「膝餅・甜酒」は二神の御子の生まれ坐した際に姫神手つから醸し差し上げられた甜酒であり、作製に使う莚その他の器材も貴重な文化遺産である。
社宝 古神像二躯〔等身大〕
関長政公奉納平鈴〔鰐口〕
半弓 筈ノ半兵衛作
土地 境域坪数7589坪
境内地 5263坪 山林約十八町歩

岡山県神社庁真庭支部




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