石巻神社(里宮)
いしまきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】石巻神社 三河国 八名郡鎮座

   【現社名】石巻神社(里宮)
   【住所】愛知県豊橋市石巻町
       北緯34度47分38秒,東経137度26分46秒
   【祭神】大己貴命
   【例祭】4月第1日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年代は不詳
       孝安天皇又は推古天皇の御代に創立という
       仁寿元年(851)10月7日従五位下『文徳天皇実録』
       明治4年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       中門・廻廊・拝殿・手水舎

   【境内社】天神社・招魂社・秋葉神社・稲荷社

道路に面した平地。叢林有り。石巻山がよく見える。
下神社とも称している。
別宮として石巻神社奥宮(山上社、大己貴命)が存在する。
石巻山(標高356m)への信仰が神社発祥の元であつた。


豊橋市指定有形文化財

大般若経六百巻
昭和58年3月15日指定
この大般若経は、表紙は渋引紙で木綿の手打紐がつけてあり軸は自在軸である。料紙はすべて黄麻紙で紙幅天地25.6cm、長さ約50cmである。巻子に仕立てて淡墨界を施してある。全六百巻のうち首尾を欠くものが十七巻、識語のないものが百八十四巻あり残りの三百九十九巻に識語がある。
書写年代は、明記されているところによれば応永元年(1394)〜同6年(1399)の間で書写場所は普門寺、東観音寺、財賀寺等である。六百巻すべて現存していること、年代的に古いことを考えれば貴重な資料である。
なお、この大般若経は現財豊橋市博物館で保管している。
豊橋市教育委員会

社頭掲示板



石巻神社

石巻は伊之万伎と訓べし○祭神詳ならず○美和庄神郷村に在す、(二葉松、私考略、)例祭、月日
神位
文徳実録、仁寿元年10月乙巳、参河國石纏神授從五位下、國内神名帳云、正一位石巻大明神
社領
三河國二葉松云、社領五石、

神社覈録



郷社 石巻神社

祭神 大己貴命 不詳
創立年代詳ならすと雖も、文徳実録に「仁寿元年10月乙巳、参河國石纏神授從五位下、」と見え、延喜式神名帳に「八名郡一座竝小石巻神社」と見えたり、後ち累進極位に至りしにや、國内帳には「正一位」と記す、古来霊社の名國内に沿く、上下の崇敬全く他に異なり、造営の如き数々行はれしにや三川國聞書に「天文23年甲寅年(下宮)及官社考集説に天正16年戊子年(上宮)の棟札見え、朱印五石を有して神郷金田神ケ谷三ケ村の産土神たり、明治5年郷社に列す。
社殿は本殿、拝殿を具へ、境内地374坪(官有地第一種)あり、石巻山に在り、石巻山は山頂四望開絡にして、眼下に濱名湖を望み、東北に富士の秀峯を仰ぐ、しかも西南渥美湾を瞰下す、当社には管粥神事あり東海道名所圓曾にも見えて著名なるものなるが、植田義方の参河国官社考の追考に云く、
「祭禮正月15日管粥占穀式あり(9月16日も祭礼行之)管粥は米二升粥に煮、管を方六七寸に切十八本一本々々に印をして紙捻にて結合せ、粥に入れ煮るなり、尤夜の八ッ時比より夜明に至る、灯の入らざる比に開き、其年の五穀の豊凶を占ふ、管をひごにてつき、粥のつまるさま色合にて占ひやうある由なり、城主より米六俵つつ奉納あり、其管は高芦村の太き芦を用ふるなり、節をぱぬくなりと云り」

明治神社誌料



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