西尾口駅と八ツ面の中間点、熊味町の集落内西尾市民病院南東に鎭座。 八ツ面の社は山上の採掘場を祀り、熊味町の当社は採掘する住民の集落ないしは、集積の地とも考えられる。 『三河志』『参河国官社考集説』では、「久麻久神社二座」のうち、一座は吉良庄熊子村の稲荷明神〔現西尾市熊味町久麻久神社〕、他の一座は吉良庄八ツ面村の大宝天王社〔現西尾市八ッ面町久麻久神社〕に比定している。 |
久麻久神社 久麻久神社再建の碑 当熊子山周辺は縄文弥生時代より人々が生活を営んでおりました。そこへ進んだ農耕技術を持った人々が移り住み、周辺の低地を開発していったものと思われます。こうした人々が豊作と安全を祈るために神を祀ったのが久麻久神社の始まりで、約1000年前の国の記録「延喜式」にその長記載されています。 祭神は倉稲魂神 久久能智神の2神です。その後大正元年12月味崎に座した春日社・神明社・三姫社が合祀されました。また末社として神明社・八坂社・三姫社(通称弁在天)が祀られています。 旧社殿は江戸時代中後期に造営され、昭和8年に大修理が行われましたが三河大地震伊勢湾台風でおおきな被害を受け仮修理のまま今日に至っておりました。 昭和63年神社再建のことが発表され、以後関係者一同のご尽力と町内外の皆様のご協賛で1億3800万円余の浄財を得て立派な社殿が完成し、平成4年11月7日御遷座祭を斉行することができました。 ここに関係各位のご熱意とご協力に心から感謝の意を表します。 平成4年11月7日 熊味久麻久神社再建委員会 宮司 石川岩雄 社頭石碑 |
久麻久神社 二座 久麻久は假字也○祭神詳ならず○吉良庄熊子村に在す、今稻荷と称す、(二葉松、私考略、)例祭 月 日 私考略には、一座は吉良庄熊子村、一座は同庄八面村に在す、今大寳天王と称すと云り、 神位 國内神名帳云、從四位下熊来明神、 社領 三河国二葉松云、社領二十石、 神社覈録 |