桜井神社
さくらいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】比蘇神社 三河国 碧海郡鎮座

   【現社名】桜井神社
   【住所】愛知県安城市桜井町桜林17
       北緯34度55分35秒,東経137度5分48秒
   【祭神】伊弉諾尊 伊弉册尊 菊理媛尊
       (配祀)天照皇大神 八幡大神 (合祀)火之迦具土神 火産靈神 應神天皇 倭姫命 菅原道真

   【例祭】11月2・3日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】鎌倉時代三河守護吉良氏より三百貫の社地寄進
       大永7年(1527)造営
       慶長15年(1610)家康の命により本殿の修築
       明治5年郷社
       昭和7年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「も桜井権現」「桜井神社」と称していた 安城市 桜井神社
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】御鍬社・市杵島社・稲荷社・山神社

鎮座地を、比蘇山と称し、比蘇神社に比定する説がある。


由緒

櫻井神社は、往古より桜井郷の産土神社として尊崇篤く神威熾にして国内神明帳に載せられし従五位桜井天神と称し奉り、武家の崇敬篤く鎌倉時代に於て三河守護吉良氏より三百貫の社地寄進が為されたと伝えられ、桜井城主松平親房は大永7年(1527)自ら願主となりて社殿の行ないました。当時は神明社と稱されていましたが慶長15年(1610)家康の命により本殿の修築が行なわれ、三河三白山社として歴代徳川家の崇敬を受けてきました。寛永年間に社号も桜井権現と改稱され後正一位桜井神社と稱し、由緒深き故を以て昭和7年県社に昇格され古くより旧碧海・幡豆の二群に亘って氏子村も三十有七ヶ村に及ぶ近郷の大社として崇敬誠に浅からぬものがありました。大祭は元陰暦9月16日とされていましたが、明治より10月16日と改められしも近年11月3日に定められている。往昔徳川家康によって奉納された流鏑馬の神事につづき花馬・額・山車・打囃子・獅子舞・棒ノ手・角力・花火の奉納が盛大に行なわれ、わが故里の鎮守の神としてとこしえにいつき祭る。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




桜井神社本殿

市指定建造物 桜井神社本殿
昭和40年11月3日市指定
 桜井神社は、平安時代の「神名帳」に従五位桜井天神と記載されている古社であります。 東棟から、1527年(大永7)に桜井城主松平親房が社殿(当時、神明社)を造営し、 1610年(慶長15)に米津清右衛門親勝が修築し、白山社としたことがわかります。
本殿は、流造で、切妻造、平入りの屋根に 向拝をつけ一流れにしたものです。後流れと前流れが不均衡になるのを、曲線で巧みに均衡を保っているところに特色があります。
正面は三間、側面は一間、脇障子は板張りで、猪目懸魚の左右の巻き込みが大きいのは、後年の修理によるものとされています。蟇股などの随所に室町時代の神社建築の様式をとど める貴重な建造物です。

社頭掲示板



桜井神

市指定史跡 三河三白山・桜井神社
昭和43年4月1日指定
三河三白山とは、上条白山媛神社、大岡白山神社、桜井神社の総称です。徳川家康の祖父松平清康は出陣にあたり、これらの神社に武運長久を祈願したといいます。家康もそれにならってこれらの三社に社領を寄進しました。
この神社の由来は、極めて古く、平安時代以前にさかのぼります。「桜井天神」「神明社」「白山社」等と名乗った時期もあり、江戸時代には、「桜井権現」とよばれ、現在は「桜井神社」と改称されています。

社頭掲示板




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