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神社の東を矢作川支流の鹿乗川が南流している。 貞観年中酒人親王が三河に下り酒を醸造してこれを朝廷に献じ、それに対して地元の人々がその徳を偲んで在来の旧社に合祀をして酒人神社としたのが始まりという。 中世ごろより次第に衰え、幕末は頗る衰退した。 |
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岡崎観光文化百選 美酒発祥の酒人神社 食物の神様と酒人親王が祀られています。酒人親王は6世紀ごろ中国から鍛冶や織物、大工、酒づくりの技術を持って日本に帰化した阿知使主の子孫で朝廷の支配力が全国に及ぶようになった時期にこの地に移り住み、我が国で初めて清酒を醸造したと言われています。 当地が、今も「坂人」と呼ばれているのもこのことに由来していると思われます。 社頭掲示板 |
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酒人神社 酒人は佐加毘登と訓べし〇祭神酒人造祖歟○志貴庄坂戸村に在す、今稻荷社と称す、(二葉松、私考略)例祭 月 日○姓氏録、(河内國皇別)酒人造、日下部同祖彦坐命之後也 神位 國内神名帳云、從五位上酒人天神、 神社覈録 |
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郷社 酒人神社 祭神 倉稻魂尊 酒人親王 創立年代詳ならず、但延喜式内社にして国内神名帳に従五位上酒人天神と見えたり、幕末当時は社連頗る衰頽せしが、明治5年9月18日郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿、渡殿、社務所等を具備し、境内地343坪(官有地第一種)あり、参河国古蹟考に「予天保8年2月共社にものしたるに、社は矢矧川の下西の方、矢矧橋より凡一里半許坂戸村東南田の中に在て、誠に聯の社地にて俗に三本木宮と称す、其庄屋惣右衛門と云を訪て問聞るに、材は僅に高百六十八石一斗七升三合の村にて、氏社と村の北西に昆沙門の社とあるのみなり、何れも田の中にて僅なる社地なり、稲荷の方式社也と村人もいへり云々」と見ゆ、又因みに当社祭神に就いて神祇志料に云く、 「按、日本書紀、継体天皇皇子莵皇子は酒人公の先、また新撰姓氏録に、酒人真人(未定雑姓に酒人小川真人)あり、並に莵皇子の後とみゆ、今本国坂戸村に酒人神社あり、隣邑小川村あるは、此に因あるが如し、然れども未だ明証を得ず、附て考に備ふ、」 と、又参河古蹟考云「当郡に小川郷あり、國内神名帳に小川天神あり、今小川村は坂戸村と並べり、可考、(小川産土神は今神明社なり」)と見えたり、暫く記して後考を俟つつべし。 明治神社誌料 |