稲前神社
いなくまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】稲前神社 三河国 額田郡鎮座

   【現社名】稲前神社
   【住所】愛知県岡崎市稲熊町森下 6
       北緯34度58分11秒,東経137度10分55秒
   【祭神】天照大神 (合祀)天児屋根命 応神天皇
   【例祭】10月第3日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       慶長20年正月春木氏田地寄進
       明治5年村社
       同14年郷社
       同42年神饌幣帛料供進社

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は岡崎城の地に鎮座
        室町初期に材木町字久後に遷座
        天正年中岡崎城の拡張により今の地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・社務所・籠屋

   【境内社】金刀比羅神社・秋葉神社

東名高速道路の西、岡崎北高校東の小高い丘上の森の中に鎮座する。
この地は、伊勢神宮の神領地であり、伊勢神宮に奉納する稲を入れて置く神倉があったといわれている。
もと、旧岡崎の地にあつたが、室町初期に高氏が額田郡を領し、総持寺を開くに及んで、材木町字久後の辺に遷され、さらに天正年中、岡崎城の拡張により、今の地に遷された。


由緒

延喜式所載、三河国26座の内の額田郡2座の一つである。此の地は、伊勢神宮の神領地であったところから、伊勢神宮に奉納する稲を入れて置く神倉があったといわれている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




稲前神社

その昔、岡崎は伊勢神宮の神領であったとされ、稲前神社には、神宮に奉納する稲を入れる倉があったといわれます。このことから推測すると、岡崎でも最も古い神社ということになります。
記録によると、もと岡崎城の地にあり、総持寺を再興するに際し、材木町に移され、更に、岡崎城郭の拡張に伴い、現在の場所に移されたといいます。
岡崎市観光文化百選

社頭掲示板



稲前神社

式内神社で三河国二十六座の内、額田郡二座の一である。創立年代は不詳であるが、国内神名帳に正五位下稲隈天神坐額田郡と記され、平安朝初期以前の創立である。往古岡崎の地は弘く天神山と称えられ、稲前神社の神領並に社地であり、伊勢神領に属していた。 大神宮に新稲を奉る国民は先づ神社の神倉に運び置き、のちに伊勢に送ることにより稲前の号がつく。鎌倉時代に至りこの地が武家の庄地となり、對面所の辺(材木町)に移され 、更に岡崎城郭の拡張により元神明へ、その後現在の地に遷座される。慶長20年春木氏より祭田一町二畝十歩の寄進があり、享保17年に石鳥居、慶應2年三河官社二十六座之内稲前神社と記せる標石を造立する。明治2年拝殿改築。同14年式内社なるを以て郷社に列せられ、同42年神饌幣帛料供進神社に昇格する。同45年鶴田鎮座の金刀比羅社、大正2年海藻鎮座の春日社をそれぞれ境内に遷座する。昭和44年本殿及び社務所を改築する。今は絶えた昔年の御田植神事歌
 今年は豊年 丈が一丈で穂が五尺
 まいたるたねが 一束三ばで五斗八升

社頭石碑



稻前神社

稻前は伊奈久萬と訓べし○祭神詳ならず○乙見庄稻熊村に在す神明社乎、(私考略)、例祭 月 日
当郡舞木村八幡宮を稻前神社ともいひて、正月三日稲前の神事ありと云り、國内神名帳に、稻前神みえず、稻隈神あれば今さる方に從ふ、
神位
國内神名帳云、正五位下稻隈天神、

神社覈録



郷社 稻前神社

祭神 天照皇大神 天児屋根命 応神天皇 旧と神明宮とも称す、創立年代詳ならすと雖も、延喜の制小社に列せられ、本郡二座の一に坐まし、国内神名帳に、正五位下稲隈天神と見えさせ給ふ、是地元と伊勢神宮の御用地なりしが故に、当社を祀れるが如し、神祇志料に云く、
「按神鳳抄参河国封戸の内に彌熊御園あり、彌熊は稲前の転訛と聞え、本村専福寺の碑に、古普比地に一祠ありて、伊勢神に隷り、稻前社といふ、社側に神倉あり、國民新稻を伊勢にに奉る者、先づ此に運び置て、後伊勢に遷る、依て稲前の号あり、青木氏世々其祀を掌るといふもの徴とすべし」
特選神名帳の所説亦是に同じくして、此神社は神宮の御園の地に大神を祭りしものなること甚だ明らかなり』と記せり、後村上天皇正平元年6月、御トに社司過穢する事あるを以て、稲前神崇ありと云へり、依て使を差遣され中祓を科せられしこと宮之秘事口伝に見え、毎年正月三日稻前神事を行ふこと神名帳考証土代に見えたり、明治6年村社に列せられしが、14年昇格して郷社となる。
社殿は本殿、拝殿、寵屋等を具備し、境内地642坪(官有地第一種)あり、参河古蹟考に云「天保4年4月、予此の社に参詣て、其村の庄屋休藏と云人を訪て問ひつるに、其村にては式社と云ることも詳には知れず、旧記等もなけれど、旧くは伊勢の御神領なりと云ひ傳ふ、さて社は両社あり、(西の宮)神明宮、これ当村の産土神にて旧くは例祭6月15日なりしを、百年許り以前、神事花火を始しに就きて、8月16日に改めたり、按に此社、社地も廣く場所も宜し、此方式社なるべし(東の宮)春日、八幡、両神相殿に坐せり。此方社地狭く場所も悪し、又其邊にて云傅ふるは、稻熊村は今の岡崎城内の地にて、御社も其所に在けるを、城を築る時、此の地に遷坐せしとも云へり」云々、又云く稲熊社は往古は今の岡崎城内対面所の所に鎮坐まし、稲前村は神領にて、今の松応寺の辺なりしを、天正18年田中兵都少輔吉政城地を弘むるにつき、社を破却し、神体は菅生稻荷社に相殿に遷し奉り、社傾をも没収して、其村を今の稻熊村の地に移しければ、社僧は上青野村に去て一向宗となりて、神領山神光寺と云ふ、御社は則今城内の天王社にて、稲荷、天王、稻荷総社神明、三社相殿にます、則予が奉仕る社なり、此事慶元伝と云ふ書に見えたり」云々とあり、記して後考に備ふ。

明治神社誌料



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