馬場瀬古墳群の中に鎮座している。 この地は矢作川にかかる平戸橋を東に渡った丘陵上に位置する6〜7世紀代の古墳群。 南北300mの間に8基の古墳が点在する。いずれも直径10〜20mほどの円墳。8号墳は横穴式石室が現存している。 |
馬場瀬古墳群 馬場瀬古墳群は、矢作川左岸の段丘に築かれ、市域では比較的大型の8基の円墳から成る。古墳群は7基の古墳が現存して、群集墳の形態を良く残している。 築造は、古墳時代後期7世紀頃と思われる。この古墳群の中で8号墳は最も良く原形をとどめ、市内最大級の横穴石室が残存している。 昭和59年2月 豊田市 社頭掲示板 |
馬場瀬8号墳 馬場瀬8号墳は直径およそ18m、高さ3m以上の円墳で、北側には周溝と呼ばれる墳丘のすそを巡る溝のあとが残っています。 横穴式石室は古くから入口が開いており、昭和49年に整備を目的とした石室の発掘調査が行われました。 石室は奥から、遺体を入れた棺を納める玄室、その手前の羨道墓道状の素掘りの溝から構成されています。最大幅2.1mの玄室には天井右4枚ががかり、最奥部には奥壁と呼ばれる2枚の巨石(高さ2.2・2.4m)があります。羨道とあわぜると右室全長は7.1mに及び、市内でも規模の大きな石室です。 石室内部からは、死者に供えた須恵器・土師器と呼ばれる土器や鉄鏃(やじり)、耳飾りなどが出土しました。出土品の特徴から古墳が築造された年代は、7世紀前半ど考えられます。 この古墳に埋葬された人物は、三河湾からさかのぼる矢作川の水路と、信州につながる陸路との中継点である平戸橋周辺に勢力を持つ豪族の一人であったと推定されています。 平成20年12月 豊田市教育委員会 社頭掲示板 |