矢作川北岸に接し、平成記念橋西に鎮座する。 古くの鎮座は現在地より西の矢作川と籠川との合流点に近い辺と言われ、度々の洪水により記録類等悉く流失し、現在では往古の具体的様相は明らかにし難い。 古代加茂氏の一族が此の附近に分布し、祖神を祀ったと思われる。 |
兵主神社 矢作川と籠川の合流する荒井町の国道153号線の東側の杜が兵主神社。延喜式にも名の見える由緒の深いお宮である。本来の位置は荒井と梅坪の中間の位置、 通称大島にあったと伝えられている。鳥居の額にも大島大明神とあるように、篭川の流れが矢作川の注ぐ付近で2つに分かれ、島を作っていたが、 この島にあった神社が現在地に移されたものと言われている。 祭神は大物主命である。大物主命は出雲神話で名高い大国主命のことで、この外、大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神 、宇津志国玉命などと称されている。大名持の名のように功績の多くとか、威力のあるとか言った日本国土を治める強い人の意味を言う。 日本の神話における中心となる神であるが、その働きは国内平定、国土経営修理、天下巡行、農学、国土の保護と医薬温泉の神とも言われ、 まさにオールマイティな神様である。兵主神社の祭神としてはまことに名が体をあらわした神様といえよう。 豊田の史跡と文化財 |
常夜燈の由来 兵主神社 江戸末期挙母町大字梅坪の三岡某氏の寄進によるもので、昭和34年伊勢湾台風にて倒壊、その後再建の話題あるの現在に至り、この度境内の美化整備を目的に貧者の1灯を献じ再建に至れり 平成11年度 氏子総代一同 社頭石碑 |
兵主神社 兵主は比夜宇須と訓べし○祭神素戔鳴尊歟○在所分明ならず、(私考略云、高橋庄荒井村大島大明神乎、式社考云、松平村六所明神、未孰れか志らず 類社 大和國城上郡穴師坐兵主神社の條見合すべし 神位 囲内神名帳云、正五位下兵主天神、 神社覈録 |
郷社 兵主神社 祭神 大物主神 三穂津姫命 旧と大島大明神とも称す、此の社号に就いて渡邊政秀云く、「大島と号るは、上古水四方に流れて島の如し、故に号大島と、創立年代詳ならずといへども、安永3年12月熱田大宮内人禰宜長岡松大夫保高の書ける当社縁起に云く、 「高橋庄大島郷大島大明神、磯城瑞離天皇御宇、加茂君大鴨積命暫居此郡、以其祖先之神而祭大物主神、配以三穂津姫、宮殿廻廊等之構、殆擬出雲国杵築社云々」 と、延喜式神名帳に「兵主神社」と見え、國内神名帳に「正五位下兵主天神」と見えたり、往古加藤左京の崇敬殊に厚く、同氏の寄進によりて社田三十町を有せしが、代官職島山牛之介の時に至りて失へりと、古来荒井梅ヶ坪両村の産土神にして、明治5年郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿、御供調進所、籠所、射小屋、社務所等を具備し、境内地3696坪(官有地第一種)あり、当社には吉田家より寄せられし大島大明神の額を藏する由集説に見え、又石野中納言基棟卿の筆になりし額をも藏せる由知譜拙紀に見えたりと。 明治神社誌料 |