県道153号北の山裾に鎮座する。 社名は鎮座地の地形により名付けられたものと考えられる。 鎮座地等に関して異説もなく、式内社とされている。 社伝には別当寺として増慶寺があつたが明治に入り廃されたという。 社名は「野神社」であるが明治神社誌料は「石野神社」とする。 |
野神社 勧請年月不詳。 仁寿元年10月従五位下を賜ふ。 延喜式内三河国官社二十六座の一。 国内神名帳書載従四位上を賜ふ。 明治5年3月郷社に列せらる。 社頭掲示板 |
郷社 石野神社 祭神 豊斟淳尊 旧と天神宮とも又は天神とも称せり、創立年代詳ならずといへども、延喜式内社にして、文徳実録に「仁寿元年冬10月乙巳、参河国野神授從五位下」と見え、国内神名帳に、「正四位下野社明神」と見えて、当国有数の神社たり、古来小白見郡口中切井ノ口近岡寺沢田ブリ野口七ケ村の産土神にして、明治5年5月郷社に列す、 社殿は本殿、祭文殿、御供所、拝殿、水屋、社務所等を具備し、就中本殿は宝永4年正月25日の造営に係る、 境内地1602坪(民有地第二種)あり、因みに当社祭神に就いて集説に云く、 「三好紀隆本云。草姫神 按にこは野神社なる故に、推按にいへる歟、三好本にあげたる神名みなしかり、されど拠ありていへる歟可考、又社説に、祭神豊斟淳命といへり、」 明治神社誌料 |
野神社 野は假字也○祭神詳ならず、(考証云、草祖野槌、今從はず、)〇野口村に在す、今天神と称す、(官社私考略)例祭 月 日 神位 文徳實録、仁寿元年10月乙巳、参河國野神授從五位下、國内神名帳云、正四位下野社明神、 神社覈録 |