野見神社
のみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】野見神社 三河国 賀茂郡鎮座
   【延喜式神名帳】兵主神社 三河国 賀茂郡鎮座

   【現社名】野見神社
   【住所】愛知県豊田市野見山町4−21
       北緯35度3分48秒,東経137度10分58秒
   【祭神】野見宿禰 大己貴命 素戔嗚尊
   【例祭】10月18日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】垂仁天皇22年創建と伝
       仁寿元年(851)10月従五位下(文徳天皇実録)
       弘治2年(1556)3月15日火災により焼失
       寛永14年(1637)造営
       明治41年10月村社
       昭和17年10月郷社

   【関係氏族】野見氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「野見天神」「能見村天王」「野見山天王」と称していた
   【社殿】本殿流造
       神門・神饌所・拝殿・参籠所・社務所

   【境内社】
   【神宮寺】天台宗彌勒山牛寺 永緑年中兵火により焼失したと伝

矢作川西岸野見山々頂に鎮座する。
境内から豊田の市街地が一望の元に見渡せる。
境内に「神石」と称する大石あり。
【式内兵主神社の論社】
牛野村(現在の室地区近辺)の兵主大明神を式内兵主神社に比定する説がある。以前は境外の末社として祀られていたが、寛永14年(1627)12月吉日以前に野見神社の相殿の神として祀られた。


野見神社

祭神野見宿禰は出雲国造氏と同属で、天穂日命十四世の孫で、飯石郡野見の地に誕生し給う、故に名とした。斯て垂仁天皇7年勅命によって都に人を苦しめる悪逆非道な當麻の蹊速を一蹴をもって之を倒した。又土師部を率いて土偶を作り殉死を禁ずる等偉大な功績があった。
後世、相撲・土器の祖神として仰がれる所以である。當神社の創立は垂仁天皇22年(2006年前)で、延喜式神名帳(1075年前)に曰ふ加茂七座の内の第一野見神社、国内神名帳に曰ふ正五位下野見天神であって、当時の社格国幣小社に列せられて新年祭の幣帛に預かり給い、西三河著名の古社である。後世渡辺藩の武運長久領内安全の祈願所であった。明治41年10月、愛知県は神饌幣帛科供進神社に指定し、大正五年10月名勝旧跡として標柱を建て、昭和17年10月、内務省は郷社に昇格した。終戦後宗教法人となり愛知県神社庁九級社となり、昭和52年10月本殿以下の建物を改築した。

社頭石碑



野見神社

相撲・土師祖・甘美乾根命(野見宿祢)をまつり、元郷社・愛知県神社庁9級社野見神社といい、野見区・下野見区一円を氏子とする。垂仁天皇の頃、 末野原(トヨタ町附近)や矢作川沿岸に住んでいた土師部らが、その祖宿祢を野見山にまつり、灯明を献じたと伝えている。その土師部を葬った塚を土師塚といい、 野見町1丁目(旧字三ッ塚)にある。むかしから名神として知られ、文徳実録(851)に「野見神授従五位下」・延喜式(927)に 「賀茂郡7座の1の野見神社」・国内神明帳に「正五位下野見天神」とある。古伝に弘治2年(1556)3月に社殿を焼失し社宝・古記録を失うと伝えている。 当時天台宗弥勒山牛寺などの神宮寺があったが、永禄年中(1558〜)に兵火にかかり焼失したという。また社伝に中世に高橋蔵人・丸根美作守らが社領を寄進したといい、 慶長年中(1596〜)に田中兵部少輔吉政が社領を安堵した。寺部城主渡辺侯も代々崇敬され、 天保3年(1832)12月に渡辺兵庫頭規綱から大石灯籠が寄進された。また同14年(1843)11月家臣松本又右ェ門他20名で大石灯籠が寄進された。 明治41年(1908)10月26日村社となり、昭和17年(1942)10月3日郷社に昇格した。社主鈴木氏は紀州熊野の人であったが、 大阪城落城後、当地にきて社主となったと伝えている。代々の社主は当社及び兵主神社の祠官であった。領主規綱のときに社主鈴木信濃正藤原重光は野見山の一部、 1反6畝20歩を宅地として下附された。昭和21年(1946)7月25日宗教法人令による届出をし、同22年4月1日旧社格を廃し、 新神社等級9級社となる。同27年(1952)11月4日宗教法人法による「宗教法人野見神社」設立認証され、同年11月14日設立登記した。境内神社に 兵主神社・秋葉社・八柱社・金刀比羅社・竹生嶋社があり、野見山町3丁目に山神社がまつってある。境内は史蹟名勝地として愛知県から指定されている。 社宝に文化4年(1807)3月玉田永教が著した「野見神社縁起書」をはじめ、棟札その他多くが現存されている。

豊田市文化資料編 寺社編



野見神社

野見は假字也〇祭神土師宿禰祖野見宿祢歟〇在所分明ならず、(官社私考略云、能見村 白山、午野村能見山天王、未孰れか志らず)
〇姓氏録、(山城國神別)土師宿称、天穂日命十四世孫野見宿祢之後也、○式七、(践祚大嘗会)参河国所造、等呂須伎四十口、都婆波三十二口、(大十六口、小十六口、)多志良加八口、山杯小杯各六十口、己豆伎、■各六十口、
類社
摂津國嶋上郡野見神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、正五位下野見天神、

神社覈録



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