久慈真智太命神
廃絶し現在不詳 所在地ボタン 社名ボタン





   【延喜式神名帳】久慈真智太命神 (大 月次/相嘗/新嘗)
          (参考)天香山神社

   【現社名】廃絶
   【住所】−−−
              
   【祭神】不詳
   【例祭】−−−
   【由緒】天平2年(730)「大倭国大税帳」に「久志麻知神田一町 種稻廿束」
       貞観元年(859)正五位下

   【関係氏族】
   【鎮座地】四條坊門坊城の西にあった
        その後廃絶


神名の傍に「本社坐大和国十市郡天香山坐櫛真〔智〕命神」という書入れがある。
久慈眞智神社は四條坊門坊城の西に在つた。
この神は、ト事主宰の神。
廃絶したものと考えられる。祭祀を継承した神社も不詳。


太詔戸命神

『三代実録』貞観5年(863)12月3日の條には「在京職正六位上戌亥隅神授從五位下」とあつて、左京職がその廃舎の西北隅に一社を建てこれらの神を祀つてゐたことが知られる。左京職は左京敬業第一坊の大學寮の南に、朱雀大路の東、姉小路の北に方四十丈の地を占めて置かれてゐたことから、その西北隅といへば、その位置はほぼ現在の二條城の西南、神泉苑の西に隣る近邊に當るものと推定せられるが、今日その社壇の遺跡は不幸全くこれを見出すことは出來ない。椎るに、中古以來一般に律令制の衰退、ことには御体御占、亀ト等の儀の廃絶とともにこれらの神々の祭祀も次第に忘れられ、また平安京の衰微とも相伴なつて、その跡を失ふに至つたものと思はれる。
九條家本には「本社(坐大和国十市郡天香山坐櫛真命神)」と傍書がある。

式内社調査報告社



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