太詔戸命神
廃絶し現在不詳 所在地ボタン 社名ボタン





   【延喜式神名帳】太詔戸命神 太詔戸命神 (大 月次/相嘗/新嘗)

   【現社名】廃絶
   【住所】−−−
              
   【祭神】不詳
   【例祭】−−−
   【由緒】平安遷都(794)後に大和国太祝詞神社を左京二条(場所不明)に勧請
       貞観元年(859)正五位下

   【関係氏族】
   【鎮座地】室町の西にあった
        その後廃絶


太詔戸神社は室町の西にあった。
「本社 大和国添上郡対馬上県郡太祝詞神社」という書入れがある。
大和国添上郡には、式内太祝詞神社(大、月次・新嘗)がある。対馬の下縣郡にも式内太祝詞神社(名神大)がある。この社を平安新京ヘ勧請したのであろう。
廃絶したものと考えられる。祭祀を継承した神社も不詳。


太詔戸命神

『三代実録』貞観5年(863)12月3日の條には「在京職正六位上戌亥隅神授從五位下」とあつて、左京職がその廃舎の西北隅に一社を建てこれらの神を祀つてゐたことが知られる。左京職は左京敬業第一坊の大學寮の南に、朱雀大路の東、姉小路の北に方四十丈の地を占めて置かれてゐたことから、その西北隅といへば、その位置はほぼ現在の二條城の西南、神泉苑の西に隣る近邊に當るものと推定せられるが、今日その社壇の遺跡は不幸全くこれを見出すことは出來ない。椎るに、中古以來一般に律令制の衰退、ことには御体御占、亀ト等の儀の廃絶とともにこれらの神々の祭祀も次第に忘れられ、また平安京の衰微とも相伴なつて、その跡を失ふに至つたものと思はれる。

式内社調査報告



京中INDEXへ        TOPページへ



順悠社