美和神社
みわじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】美和神社 上野国 山田郡鎮座

   【現社名】美和神社
   【住所】群馬県桐生市宮本町2-1-3
       北緯36度25分4秒、東経139度20分23秒
   【祭神】大物主櫛甕玉命 (合祀)素盞嗚命
   【例祭】11月19日・20日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】崇神天皇御代大和国御諸山の大物主神を勧請
       延暦15年(796)官社
       元慶4年(880)正五位
       明治34年10月摂津西宮神社の御分霊を勧請

   【関係氏族】三輪山の神を祀る氏族
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「美和大明神」と称していた
   【公式HP】 美和神社
   【社殿】本殿一間社流造銅板葺
       幣殿・拝殿・神樂殿・神輿倉・手洗舎・社務所

   【境内社】西宮神社・金毘羅神社・松尾神・八意思兼神社
   【旧別当】北東に接して鷲ケ峯福王山成蓮院圓満寺

崇神天皇の代に創立と伝える。山裾坂の上の社。参道階段を登ると西宮神社。左手参道を進めば美和神社となる。





美和神社

関東一社
桐生西宮神社由緒
桐生西宮神社は延喜式内上野十二社の一社美和神社の御祭神が大国主命である関係から明治34年10月摂津西宮神社の御分霊をいただき商業・工業・農業・交通・海運・漁業等に霊験あらたかな蛭子大神(恵比須様)を桐生ヶ丘公園に接する古木生い茂る実和神社の荘厳な神域におまつりした神社です。
此の西宮神社を関東一社と申します理由は蛭子大神を御祭神とする神社は桐生だけで各地の恵比須様は国土開発等に御神徳のある大国主命又事代主命をお祀りした神社であり御祭神の相違から区別されて関東一社と称せられて居ります。
11月19日。20日の例大祭には近郷近在は申すまでもなく栃木・埼玉等隣接各県から参拝者は数十万を数え桐生市に恵比寿講の雰囲気が溢れまれに見る賑やかな大祭典となります。
祭典
一、初祭 1月20日(初恵比寿)
一、例大祭 11月19日、20日
昭和56年11月吉日
御遷宮八十周年記念 建之

社頭掲示板



美和神社

当社は大和国御諸山神鎮まり坐す『元』官幣大社『現』大神大社と御同神にして創建は人皇十代崇神天皇の御代今を去る弐千有余年前我毛野国に東国鎮護の神として奉斎時恰も天下疾疫大に流行し時天皇之れを憂慮し玉ふ一夜大物主命天皇の御夢に告げて曰く之れ我御心なり宣く我御前を祭祀せば立ち所に息み年亦豊穣國家安穏なるべしと於是御社を御諸山に建立し御神霊を奉斎す此の事大和の御本社由緒記にも見ゆ。
(下野国十二社式内大神神社も同時鎮祭せしものならん)
当社は桓武天皇延暦15年8月甲戌上野国山田郡美和大神を官社と為すと日本後記に見え後清和天皇貞観4年5月25日を以て従五位下勲十二等を授けられ又三代実録に陽成天皇元慶4年5月戌寅従五位の上より正五位以下勲十二等を授けられ其后朱雀天皇白河天皇崇徳天皇高倉天皇後鳥羽天皇土御門天皇亀山天皇後宇多天皇の各朝より位階を賜進せられたり延喜制式内の小社に列せられ国帳従一位美和大明神と記しあり
延享元年8月27日神祇道管領卜部朝臣兼確より上野國山田郡園田庄桐生鎮座三輪神社の御神号を贈進せられ。
旧旗本布施孫兵衛斯る古社の釆邑にあることを喜ひ毎年当社へ御供米参斗八舛御燈明料として米八石を慶応4年辰3月迄寄進せらる。
明治5年11月郷社に列せられ。第二十三大区十二小区の鎮守とす。
明治41年7月省令に依り桐生町村社八坂神社を合併。

由緒書



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