崇神天皇の代に、豊城入彦命が山城国の賀茂神を勧請したと伝わる。 「カワゴ石」「ヤスメ石」という霊石がある。カワゴ石は鴨川の上流、八王子丘陵山腹のカワゴ石沢にある。長さ11尺・幅10尺・厚4尺の箱形石。賀茂神が降臨した霊石と伝え、明治以前は祭典前夜に神官がこの地に登り、降神の神事を執行、用いた榊を捧持して途次ヤスメ石(現在は旧神官飯塚邸内にある。)で休息したという。カワゴ石は磐座としての「神籠石」であろう カワゴ石参照HP:http://akanekopn.web.fc2.com/kawagoishi.html |
賀茂神社 延喜式内 賀茂神社由緒略記 祭神 賀茂別雷神 神紋 二葉葵 祭神追記 玉依姫命 経津主神 武甕槌神 建御名方神 素盞嗚命 白滝姫命 宇迦之御魂神 外 二十柱 創立年代不詳 社伝によると 崇神天皇の朝 豊城入彦命 東国鎮護のため山科国の賀茂神を勧請したと伝えられている 桓武天皇延暦15年(796)官社に列せらる「日本後記 巻五」陽成天皇元慶4年(881)正五位下勲十二等を授けらる「三代実録」醍醐天皇延喜年間(901頃)諸国の神社御改めあり3130余座の内 上野国十二社 中に山田郡下広沢村賀茂沢に賀茂神社御鎮座 式内の社となる (延喜式巻十 神祇十)又 上野国神名帳に「従一位賀茂大明神」と見えている 例祭 春祭 4月15日秋祭 元旦祭 節分祭 八坂祭 豊機祭 大祓 6月30日 12月31日 春秋二期例祭 宮比講太々神楽 特殊神事 御篝神事(火投げ神事)節分の夜 参拝の栞 |
賀茂神社参拝の栞 鎮座地 群馬県桐生市広沢町6丁目833番地 12000余坪に及ぶ神域には、老杉・老樅などが鬱蒼として繁茂し、森厳の気が自ら襟を正させる、群馬県下有数の荘厳さを誇っている。 御祭神 賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ) 御神徳 農事・産業・厄除け・開運・方除の神として崇敬されている。 御由緒 崇神天皇の朝、豊城入彦命が東国鎮護のため山城国賀茂神を勧請したと伝えられ、延暦15年(796)官社に昇格(日本後紀)、元慶4年(881)正五位下勲十二等に昇叙(三代実録)、康保4年(967)上野国十二座のうちの一社に収録(延喜式神名帳)された。口碑によると、寛治元年(1087)源義家は、出羽国の藤原武衡・藤原家衡誅伐のため北上の途中参詣して戦勝を祈願、叛徒を平らげて凱旋のとき報賽の神楽を奏上したと伝えられ、舞楽奉献の遺跡が今も残されている。 社殿 流れ造りの建物で、本殿・幣殿・拝殿・神饌所から成っている。 御祭日 元旦祭・節分祭・春季例祭・八坂祭・豊機祭・秋季例祭 主要境内社 下賀茂社・香取社・鹿島社・八坂社・豊機社 特殊神事 御篝神事は近世中期頃から始められたと伝えられ、節分の夜に行われる。境内に篝場を設け、古神札・古神棚・正月飾りなどを積み上げ、その中に浄薪と呼ぶ楢の木を入れて神前の火を移し、火勢が盛んになると氏子の若者たちが左右に分かれ、浄薪を掻き出して投げ合う壮烈な奇祭であり、桐生市無形民俗文化財に指定されている。 宮比講社太々神楽 文化12年(1815)神主飯塚伊豆正の発起によって始められ、白黒翁三番叟・屑紙拾い三番叟があり、桐生市無形民俗文化財に指定されている。特に、屑紙拾い三番叟は全国でも珍しいもので、「郷土の三番叟のいろいろ」として国立劇場で公演された。 境内建物 神楽殿・神輿庫・直会殿・社務所 境内案内 賀茂山 石器・縄文土器・弥生土器・土師器が数多く出土し、祭祀遺跡も見つかっている。 休み石 源義家が叛徒を平らげて凱旋のとき、腰をかけて休んだ石と伝えられている。 石燈籠 幣殿の横にある石燈籠は、高さ2.1m、石質は輝石安山岩、六角竿の部分に、「永和4年(1387)戊午2月4日大工孫太郎敬白願主□□」の銘文が刻まれている。 句碑のみち 平成2年(1990)御大典記念事業として、神域内の賀茂山に利根川・渡良瀬川産出の自然石に俳句を刻んだ多数の碑を建てて遊歩道として整備した。境内には萬葉の歌碑もある。 社頭掲示板 |
賀茂神社太々神楽 賀茂神社に伝わる神楽は宮比講社神楽と呼ばれるもので、文化12年(1815)に当時の神官である飯塚伊豆正が発起したといわれている。 神楽は式舞と狂舞であり、ともに十二座で計二十四座となっている。 とくに狂舞の『屑紙拾い三番曵』は他に見られないめずらしい神楽となっている。 明治維新で一時中断されたが、明治15年ころ再興された。 その後、昭和40年代に衰退しかかったが、昭和48年に神楽保存会が組織され、青年有志が古老から受け継ぎ、今日におよび、毎年春(4月14日・15日)、秋(10月15日に近い日曜日)の例祭に奉納されてる。 社頭掲示板 |
賀茂神社御篝神事 毎年節分の夜に行われ、神事に参加する氏子たちは揃いの白装束に着替え、半紙を切り抜いた人形(ひとがた)に生年月日と名前を記し、これで身体の悪い部分を撫でて諸病その他の災厄を移す。氏子たちは人形とともにお祓いを受け、節分の豆まきを行う。境内中央に御篝場が設けられ、浄薪を積み上げ古札・古神棚・古ダルマなど積まれ、神職により点火。頃合いを見て火のついた薪をもった氏子たちが左右に分かれ、太鼓の音に合わせて大声を上げながら対峙する氏子めがけて一斉に高く投げあう。回転しながら弧を描いて飛び交う浄薪からは、無数の火の粉が舞い散り、夜空を焦がして神域に降り注ぐ。 勇壮で特異な神事は他に例がなく、まさに奇祭の一つとして位置づけられる。 平成3年(1991)桐生市指定重要無形民俗文化財。 ぐんま地域文化マップ |