延暦4年に、早良親王に加担し当地に流された小野金善が、川島の甲波宿禰神社から勧請したという。 |
由緒 宝亀2年(771年)、延喜式上野十二社の一つ川島の甲波宿祢神社が創建されましたが、本社はそれより後、延暦4年(785年)、早良親王の謀反に組したためこの地に流されたという小野金善が川島鎮座の甲波宿祢神社から勧請したといわれます。中世になってからは白井城主長尾氏の崇敬が厚く、長尾景春が神宝として太刀一振を献上し、社殿の修築をしたといわれます。 祭典は、往古は万福寺住職が奉仕していましたが、明治になり神官奉仕となりました。尚当社は古昔は正一位宿祢大明神といわれましたが、明治元年、神祇官布告によって甲波宿祢神社と改称されました。 宝物は神鏡・太刀・神輿(天正3年作と伝えられる)があります。表鳥居に享保一九年宿祢大明神とあり、社殿は当時のものです。拝殿の石立端柱の獅子一二頭屋根下の鶴と鴨居の龍の彫刻格天井に画かれた狩野派の絵画等いずれも貴重な文化財であります。尚明治初年、社務所の火災で残念ながら古記録すべて焼失しました。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
甲波宿祢神社 この社は延暦4年(785年)この地に流人となった小野金善が、この地は至る所から多くの清水が湧くのは神がみのしからしめることと思い、村びとに永久福利をもたらすことを願って一村の中央に廟をつくり、水を司る速秋津彦神、速秋津姫の二神を祭ったとされています。 あずま村誌より 群馬県が人口200万人を記念して製作した映画、小栗康平監督作品「眠る男]のロケ地になった神社(平成7年6月撮影) 社頭掲示板 |