伊達神は中之島村鎮座志摩神社、和田村鎮座静火神社と相連がる神で、五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命三神を祀れる。其の土地も北より南に連なって又一連の神である。古より神位を授けらるるに此の三神は必ず同時にして、然も同じ位階を授けられ、神名帳に神名を示すにも三神相並べて記載された。是に因って此の三神を紀三所の神と称した。 「紀三所社」は元は日前宮近くにあったと見られる。 『住吉大社神代記』では住吉大社摂社の船玉神社が紀氏の神であり、「志麻神・静火神・伊達神の本社」であるとしている。 旧藩時代(享保以降)官命により、伊達の神名を若山、湊の吹上社に移され、当社は園部神社と改称された。 |
由緒 五十猛命は素戔嗚尊の御子にして、大八州に数々の木種を播殖し給い、かつ国土経営の功績顕著なるをもてって、別の名を「有功の神」と申し上げる。また神八井耳命は、神武天皇の御子にして園部の氏神に当たらせ給う。園部兵衛重茂はこの神の後裔であるという。当社は廷喜式内名神大社にして世に園部一の宮と称せられ神代よりの御鎮座なりと伝えられる。 「続日本後紀」仁明天皇承和11年(844年)の条に「紀伊国ノ従五位下伊達、志摩、静火ノ神ニ正五位下ヲ授ケ奉ル」とあり、その後、本国神名帳によると遂に正一位を授けられたという。 又、神名「伊達」は伊太氏にて山東庄に鎮まりませる伊太祁曾神と同神なり、土人当社を一宮大明神と称う。当社に中野島村志摩神社、和田村静火神社の三神を紀三所の神と称え奉るという。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
伊達神社 当神社は、延喜式内名神大社にして世に園部一の宮と称せられ、神代よりの御鎮座なりと伝えられる。 五十猛命は素盞鳴命の御子にして、大八州に数々の木種を播殖し給い、かつ国土経営の功績顕著なるをもって、別の名を「有功の神」と申し上げる。 また神八井耳命は神武天皇の御子にして、園部の氏神に当らせ給う。 園部兵衛重茂はこの神の後裔であるという。 『続日本後紀』仁明天皇承和11(844)年の条に「紀伊国ノ従五位下伊達、志摩、静火ノ神ニ正五位下ヲ授ケ奉ル」とあり、その後、本国神名帳によると遂に正一位を授けられたという。 又、神名「伊達」は伊太氏にて山東庄に鎮りませる 伊太祁曽神と同神なり、土人当社を一宮大明神と称う。 当社に中野島村志摩神社、和田村静火神社の三神を紀三所の神と称え奉るという。 和歌山県神社庁 |
伊達神社 村中にあり 善明寺大谷平井薗部四箇村の産土神なり 續日本後紀承和11年(844年)奉授紀伊國ノ従五位下志摩大達静火ノ神ニ正五位下ヲ(大達は伊達の誤りならむ)文徳實録嘉祥3年(850年)三神並ニ授従四位下ヲ 三代實録貞観元年(859年)三神並ニ授従四位下同17年三神並ニ従三位ヲとあり 其後遂に正一位を授けらる 神名伊達[イタテ]は伊太氏にて山東荘に鎭り坐る伊太祁曽ノ神と同神なり 土人當社を一ノ宮大明神と稱ふ又當社並に中野島村雑賀荘志摩ノ神社和田村宮郷静火ノ神社の三神を紀三所の神と稱へ奉る其詳なる事は神社考定ノ部に載たり 當社中世に至り御父神素戔嗚尊を合せ祀りて祇園牛頭天王なとゝも稱へ奉れり寛永記 是によりて寶徳3年(1451年)の祭文に京都祇園社と同じ神なる趣を書かせりされは式に載する所は一座なれとも後世にありては二座の神なり 古神拜貴志ノ荘より荘官衆馬十騎流鏑馬なり社頭も多く有しに信長公入國の時盡く滅却せりといふ 神事は2月6月9月11月ノ13日なり 土人傳いふ今の宮居の北に舊宮山といふ小山あり古の宮大にして今の宮居とは釣合す此は古のまゝの鳥居ならんか又村中牛神二社八幡黒神妙見辨財天善明寺村住吉八幡二社権現牛頭天王八王子二社總計十三社皆当社の末社といふ 紀伊続風土記 |