志疑神社
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   【延喜式神名帳】志疑神社 河内国 志紀郡鎮座

   【現社名】志疑神社
   【住所】大阪府藤井寺市大井3-9-16
       北緯34度34分51秒,東経135度36分39秒
   【祭神】素盞嗚命 菅原道真
       『河内国式神私考』神八井耳命

       志紀氏に二流あつて、一が饒速日命の系統、一が神八井耳の系統になる。
       当社の本来の祭神は神八井耳命と思われる。

   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】往昔のことは詳らかにできない
       明治5年(1872)村社
       明治40年10月24四日黒田神社に合併せらる
       昭和21年6月分離独立

   【関係氏族】志紀氏
   【鎮座地】移転の記録はない
        明治40年10月24四日黒田神社に合併せらる
        昭和21年6月旧地に分離独立

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「天王」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所

   【境内社】

大和川南岸近く住宅地の中の小社。
志紀郡に居住した志紀氏が氏祖を祀ったものと思われる。
遺された史・資料などなく、往昔のことは詳らかにできない。
明治40年10月24四日黒田神社に合祀される。
昭和21年6月分離独立した。


大井のおやくっさん

この堂は、今から約350年前に玄榮入道禅下というお坊さんが建立されました。
御本尊は、薬師如来をまつられています。
昔、香積山常楽寺奥坊と名付けられ近郷から、多数のお参りがありました。
なかでも、産後のご婦人が、お参りになると母乳がよく出るという言い伝えがあり、善女のお参りが絶えませんでした。
住職の玄榮入道禅下は、独身でしたので、後継者がなく、当時の信者数名に全てを依託されました。
以来、約350年その信者の子孫が、年中行事として、毎年1月(成人の日)と8月(盆おどりの日)に法要を勤め今日に至っています。
今では、1月と8月以外にも、毎月の第一日曜日の午前中に薬師堂を開扉して、製作年代が、平安時代後期(約九百年前)とみられる薬師如来坐像などを、ご覧いただけるようになっています。
大井薬師講
2005年4月記

社頭掲示板



志疑神社

河内国志紀郡大井村内字薬師
式内 志疑神社
祭神 素盞嗚尊
「イザナミ」「イザナギ」のみことの子で、天照大神の弟で出雲系民族の祖神といわれる。
***給し天照大神を「天の岩戸」にかくさせ***天上から地上に追放され出雲国「斐ノ川」で八岐の大蛇を退治して「奇稲田姫」と結婚し大蛇の尾から出た「天叢雲剣」を天照大神に献上した。「英雄の神」「農業の神」とされ、氷川神社(埼玉県)矢坂神社(京都府)なぢに祭られている。
配神 右大臣(稲荷大神)左大臣(菅原大神)合社
本殿 棟行六尺五寸、梁行六尺五寸、落棟四尺、棟端三尺
拝殿 棟行五間半、梁行一間半
狛犬 高さ一間、巾三尺 (一対)
燈籠 高さ一間二尺、周囲四尺(一対)
境内 官有地第一種95坪、民有地第一種130坪

社頭掲示板



志疑神社

志疑は假字也○祭神詳ならず○大井村に在す、今天王と称す、(河内志、同名所図会)、 連胤按るに、志、紀氏に二流あり、恐らくは饒速日命の裔なる志貴縣主、志貴連等の祖神ならんか、前なる志紀縣主神社の條考へ合すべし、

神社覈録



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