許麻神社
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   【延喜式神名帳】許麻神社 河内国 渋川郡鎮座

   【現社名】許麻神社
   【住所】大阪府八尾市久宝寺5-4-8
       北緯34度37分33秒,東経135度35分8秒
   【祭神】素盞嗚命 (配祀)高麗王霊神 牛頭天王 許麻大神
       高麗からの渡来人がその祖神を祀った神社で、高麗王霊神が本来の祭神か。
       渡来人・狛氏の祖神が表に出たのは明治以降で、江戸期までは防疫神牛頭天王を祀る社として崇拝されていた。

   【例祭】 10月16日例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創立年月日は不詳
       神位従三位を授けらると伝わる
       明治5年(1872)神社制度発布の際、郷社
       明治39年4月28日神饌幣帛料供進指定神社
       昭和44年9月不審火により本殿幣殿が全焼

   【関係氏族】「大狛」「狛」を姓とする氏族
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「久宝寺の牛頭天王」と称していた
   【公式HP】 許麻神社
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿

   【境内社】金比羅神社・嚴島神社・八幡神社・太宰府神社・秋葉神社
   【宮寺】この地が久宝寺と呼ばれる所以となつた久宝院観音院が、この許麻神社の宮寺として境内にあつた

平地の街中に鎮座する。
往古このあたりは、朝鮮の高麗からの渡来氏族が各所に蟠居し、繁衍した「大狛」「狛」を姓とする氏族が祖霊として祭祀したのであろう。
近世徳川期には「久宝寺の牛頭天王」と一般に呼ばれていた。


由緒

本神社の創立年月は不祥でありますが、藤原忠平が、醍醐天皇より朱雀天皇に至る三十年の間に勅を奉じて撰した「延喜式」(今より約1050年前)の中の神名帳に記されている「式内社」で小社に列せられております。河内国神名帳には、神位を従四位とあり、明治5年、神社制度発布の際、郷社に列せられるとともに、旧渋川郡第一大区第一小区一二番組、即ち、大蓮、金岡、衣褶、柏田、蛇草、横沼、吉松、三の瀬、長堂、太平寺、岸田堂、大池等の各村奉仕神社氏子より、本神社を親宮と称し、毎年米麦両度の初穂を供進されました。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




許麻神社

式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神を祀ったと伝えられる。
境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残である。
この寺は聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火にあって焼失した。その後観音院のみ復興したが、明治初年廃寺となった。本尊十一面観音は今念仏寺にある。
神社の西方にむかし弥生式土器を埋蔵したベントウ山があった。
八尾市教育委員会

社頭石碑



許麻神社

許麻神社の創立は不詳であるが、「延喜式」神名帳には小社に列せられており、今から1100年以前より存在していた由緒ある神社で、江戸時代には「久宝寺の牛頭天王」と呼ばれていた。
許麻は高麗こうらいに通じ、この地は古くは「巨麻荘」または「許麻荘」といい、高麗からの渡来民族が多く住み着いていた。彼らが祖霊として祭祀したのが、後に神社として祀られ、社名に「コマ」が残ったと思われる。
また、かっては、この神社と同じ敷地内に「久宝寺観音院」が宮寺としてあり、この寺の創建は聖徳太子が建立された「久宝寺」に遡るが、戦国時代、松永弾正久秀の兵火に罹り、灰燼と化した。
幸い、聖徳太子自作と伝わる本尊の11面観音は難を逃れ伊賀の国に疎開したが、紆余曲折を経て、現在は同じ久宝寺町にある、念仏寺に安置されている。
久宝寺観音院は寛文7年(1677)再興されたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。
社殿の建立は天正10年(1582)に社殿改建の記録が残っているとのことで、その後幾度となく改建、修復がされたが、近年では昭和44年(1969)不審火で焼失している。
現在の社殿は2年後の昭和46年(1971)に鉄筋構造で再興されている。
久宝寺が寛文7年(1667)に再興された時の「鐘楼」は神社の「手水舎」となって保存されている。

由緒書



郷社 許麻神社

祭神 高麗王霊神
年代詳ならずと雖、当地には高麗人の帰化せしものを置かれたる事、日本書紀其他に見ゆれば、此等が其本國の王を祀り創めたるべきは殆んど疑ひなきが如し、醍醐天皇延喜の制小社に列す、澁川郡六座の一なり、後世牛頭天王と称す、供僧坊観音院あり、之れ古の久宝寺といひしものなり、明治6年郷社に定まる、境内778坪(官有地第一種)社殿は本殿、拝殿、幣殿其他神輿殿、社務所、絵馬舎を備へ、社地櫻樹林をなし、春期は甚も称すべし、社家に古笥あり、蓋に、「許麻の里澤邊に生ふる杜若、君が手毎の水やかざさん」
といふ古歌を題す、今も村の東西北に明星澤の旧跡ありて、昔杜若の名所なりしと。

明治神社誌料



許麻神社

許麻は假字也、和名鈔、(郷名部)大縣郡巨麻、若江郡巨麻、○祭神詳ならず○許麻庄久宝寺村に在す、今天王と称す、(河内志、同名所図会)、○当国大縣郡大狛神社もあり
連胤按るに、大縣郡巨麻は大狛神社あり、若江郡巨麻は当社のましますが故の地名なるべし、若江澁川の郡界は今も入交れりとそ、

神社覈録



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