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波牟は蛇であり許曽は社の義という。 日本古来の「蛇神」を祀っていたのであろう。 鎮座地の地名は河内国渋川郡北蛇草(はみくさ)村字大ケであり、地名から社名が起こったとされている。 明治27年4月、近隣七ケ村が合体して長瀬村となり、大正元年12月28日各村に鎭座していた八社が合併移転し、「長瀬神社」となった。 長瀬神社は当社より700メートルほど南の地。 式内社波牟許曽神社の旧地は、昭和の初年は、僅かに数株の松を存するのみと記録されていたが、北蛇草地区の氏子住民の努カにより、旧地に還座し、旧社以上の結構をもつ本殿・拝殿・社務所が建立された。 |
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波牟許曽神社 平安時代に入った延長五年(927)に、上進された法令「延喜式(醍醐天皇の勅令により藤原忠平らが編集、宮中の儀式・作法・制度などをかいたもので、後の律令政治の基本法となったものです)神名帳」には全国2861社が記載されています。 東大阪市内では、波牟許曽神社、彌刀神社のほかに、枚岡神社など16社が記載されています。 諸本には共にハムコソと読んでいる。伴信友(神名帳考証)に蛇草と書イテ今イカニ唱ふにかシラネド波牟久佐(ハムクサ)トカ、波美久佐トカ唱ふべき也、云々と考証して、「河内誌」に記載す。所在地についても地名から社名ができたと説明している。これに対して、神社を「許曽」とかいふのは、延喜式に「下照比売社一座」、日本書紀に、「社戸臣大口」続日本紀に「社吉志酒人」、また国光大師伝に、「美作国稲岡ノ北ノ栃社(とちこそ)」などとある事例によっても明らかである。 波牟は蛇にして、許曽は社の義なり、蛇を祭れる者にや。村名はこれ社名より起こると述べている。 この宮については古代よりこの地の宮の関係は、その昔、物部の氏人の村であり、蛇草と云う地名の起源はこの宮の名より起こったものと伝えられる。 「神社覈録」には北蛇草村神明とあり、河内明記には大社天神とも伝え、「神明考証」には大社神社と呼んでいた。 御祭神は埴安神(はにやすのかみ)、波牟埴安姫(はむはにやすのひめ)なりと記されています。一説には、蛇を祀れるものかとも伝えられる 社頭掲示板 |
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波牟許曽神社 波牟許曽は假宇也○祭神詳ならず○北蛇草村に在す、今神明と称す、(河内志〇河内名所記、大森天神と云り、) 神社覈録 |