加津良神社
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   【延喜式神名帳】加津良神社 河内国 若江郡鎮座

   【現社名】加津良神社
   【住所】大阪府八尾市萱振 770
       北緯34度38分29秒,東経135度36分22秒
   【祭神】素盞鳴尊
       『河泉神社記』所祭未詳
       『神社覈録』『特選神名牒』加都良命
       

       古代の祭神はよくわからない

   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天武天皇8年(679)8月鰻造忍勝が嘉禾(ヨキアハ)を献る
       貞観9年(867)2月26六日官社『三代実録』
       中世の情況はよくわからない
       南北朝から戦国にかけて何回か焼失する
       中世牛頭天王社とされた
       明治5年(1872)村社
       明治41年4月15日、八尾神社(栗栖神社)に合祀
       戦後、単立の宗教法人として独立

   【関係氏族】縵(かずら)連
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「牛頭天王社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所・神輿庫

   【境内社】琴比羅社・水分社

八尾北高校の南東の住宅地の中に鎮座している。本来の境内が道路で2分されている。一方は公園となっている。式社の表示はない。
縵(かずら)連の氏神であるとされるが、縵連は百済系と物部系の2系統あるがいずれの系統か不詳。
神社のある萱振村では、南北朝の争乱、畠山氏の内紛、河内門徒衆と戦国の武将たちの戦乱のたびに、萱振城を中心にたえず戦争があつた。そのため、かなり広い社域があつたと考えられる当社も、何回か焼失する憂目にあつたことと思われる。
中世のいつごろからか、当社は牛頭天王社と称した。近世も、そのまま牛頭天王社といわれていたが、明治に入つて牛頭天王社を加津良神社と改称した。祭神も牛頭天王から素盞鳴尊に変わつた。
明治41年4月15日、八尾神社(栗栖神社)に合祀されたが、地元では合祀は表面的なものとされていて、社殿・御神体もそのまま旧位置に残つていた。第二次大戦後、単立の宗教法人として独立、現在に至つている。


加津良神社

この加津良神社は「河内名所図会」では萱振村にありとしている。祭神は素戔嗚(すさのお)命であるが、現在は牛頭天王(ごずてんのう)と称している。疫病を治める神として祀られた。貞観9(867)年2月26日官社となる。昔は社地が広く、宮跡、神道森、鳥居、西松馬場などの地名が残っている。明治41年、栗栖(くるす)神社に合祀されたが戦後復活した。
八尾市教育委員会

社頭石碑




加津良神社

加津良は假字也○祭神加都良命歟、萱振村に在す、今天王と称す、(河内名所図会)○姓氏録、(大和国諸蕃)蔓連、百済人狛之後也、
連胤按るに、播磨國多可郡加都良命神社、大津乃命神社あり、当國丹比郡大津神社、是を見れば加津良大津の神は、由縁ありて当國播磨國ともに相離れず坐すにやあらむ、猶考ふべし、
類社
播磨國多可郡加都良命神社、阿波國勝浦郡勝占神社、
官社
三代實録、貞観9年2月26日丙申、以河内國若江郡加津良神、預官社、

神社覈録



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