八尾北高校の南東の住宅地の中に鎮座している。本来の境内が道路で2分されている。一方は公園となっている。式社の表示はない。 縵(かずら)連の氏神であるとされるが、縵連は百済系と物部系の2系統あるがいずれの系統か不詳。 神社のある萱振村では、南北朝の争乱、畠山氏の内紛、河内門徒衆と戦国の武将たちの戦乱のたびに、萱振城を中心にたえず戦争があつた。そのため、かなり広い社域があつたと考えられる当社も、何回か焼失する憂目にあつたことと思われる。 中世のいつごろからか、当社は牛頭天王社と称した。近世も、そのまま牛頭天王社といわれていたが、明治に入つて牛頭天王社を加津良神社と改称した。祭神も牛頭天王から素盞鳴尊に変わつた。 明治41年4月15日、八尾神社(栗栖神社)に合祀されたが、地元では合祀は表面的なものとされていて、社殿・御神体もそのまま旧位置に残つていた。第二次大戦後、単立の宗教法人として独立、現在に至つている。 |
加津良神社 この加津良神社は「河内名所図会」では萱振村にありとしている。祭神は素戔嗚(すさのお)命であるが、現在は牛頭天王(ごずてんのう)と称している。疫病を治める神として祀られた。貞観9(867)年2月26日官社となる。昔は社地が広く、宮跡、神道森、鳥居、西松馬場などの地名が残っている。明治41年、栗栖(くるす)神社に合祀されたが戦後復活した。 八尾市教育委員会 社頭石碑 |
加津良神社 加津良は假字也○祭神加都良命歟、萱振村に在す、今天王と称す、(河内名所図会)○姓氏録、(大和国諸蕃)蔓連、百済人狛之後也、 連胤按るに、播磨國多可郡加都良命神社、大津乃命神社あり、当國丹比郡大津神社、是を見れば加津良大津の神は、由縁ありて当國播磨國ともに相離れず坐すにやあらむ、猶考ふべし、 類社 播磨國多可郡加都良命神社、阿波國勝浦郡勝占神社、 官社 三代實録、貞観9年2月26日丙申、以河内國若江郡加津良神、預官社、 神社覈録 |