駅前のビルの谷間にある神社。 栗栖神社は古代において栗栖氏の氏神であつたと思われる。 中世以後のこの神社の歴史はよくわからないが、延元2年(1337)には南朝方が攻め寄せ兵火にあつた。 江戸時代、この神社は八尾西郷村の氏神で、牛頭天王社と称した。 宮寺として天徳寺があった。 明治5年4月、木戸村の八幡社を合祀して、西郷・木戸両村の氏神となつた。村社に指定された。 明治41年4月15日、社名を八尾神社と改称した。 |
八尾神社 祭神は宇麻志麻治命で延喜式内社である。 この地を本拠とした物部氏の一族、栗栖連がその祖神を祀ったものであろう。古くから西郷・木戸両村の氏神で明治41年(1908)に八尾神社と改めた。 八尾は、古くは矢尾・矢生・箭尾とも書かれ、物部氏の一族で矢作に従事した「矢作部」がいたといわれ、また尾先が八枚に分かれた鶯の名所であったことから地名となったとも伝えられる。 社殿の横には「八尾城址」碑がある。 八尾市教育委員会 社頭掲示板 |
由来 祭神 伎佐貝姫命 例祭 11月15日 本社の創立年代は詳がでないが祭神伎佐貝姫命は八十兄神等の災により大国主命が火傷をされたおり母刺国若姫命の願いに神産霊神が遣はされた二神のうちの一神であり火傷の治療をされた神であることから火難消徐の神として古から当地に奉祀されていました。 当社は古来「八王権現」と称されていたが明治初年の神仏分離令によって「八王神社」と称するようになりました。 後明治19九年「王」の一字を改めて「八尾神社」と称し今日に至っております。 社頭掲示板 |
栗栖神社 栗栖は久留須と訓べし○祭神分明ならず〇八尾西郷村に在す、今天王と称す、(河内志、同名所図会)○姓氏録、(河内国神別)栗栖連、神饒速日命子于摩治命之後也、」同、(和泉國諸蕃)栗栖直、後漢霊帝三世孫阿智王之後也、」同、(右京諸蕃上)栗栖首、文宿禰同祖、王仁之後也、 連胤云、栗栖氏、神別諸番の二流いづれの祖神たるや、いまだ考へ得ず、 類社 伊勢國多氣郡佐伎栗栖神社 神位、官社 三代實録、貞観4年4月12日庚戌、授河内國正六位上栗栖神從五位下、同年11月11日乙亥、詔以河内國從五位下栗栖神、預之官社、(元慶7年12月28日庚申条に重出す、今採らず、) 氏人 続日本紀、天平17年正月乙丑、无位栗栖史多禰女、外從五位下、 神社覈録 |