金剛寺本の記載様式からみて、弘仁式の時からの官社であると思われる。 河内湖のなごりである新開池に面したところで、吉田川も近くを流れ、中河内でも特に低温地な地に鎮座している。 古代においてどの氏族の氏神であつたかわからない。また中世の状況もよくわからない。近世は熊野権現社として加納村の氏神であつた。 |
宇波神社の秋祭り 宇波神社の祭神は埴安姫命で字瓦口に鎮座しています。延喜式内社で神名帳によれば、従三位を授けられています。神社の周辺は、廻りより少し小高くなったところで、古代は水辺であったようで、この付近を白肩の津と呼び、船が停まれるような深さをもっていた所であったようです。加納の北西部に小字名で「シカダ」という所があることからも推定されますが、波打ち際に祀られた神社であったようです。 この神社では、秋祭りになると獅子舞が各家を回ります。昭和45年頃までは、中地区の北部の各地で舞われていましたが、最近では宇波神社に見られる郷土芸能として、貴重な伝統行事になりました。獅子舞は獅子の面の人と天狗の面をかぶり、ササラを持つ人が踊り、囃しは笛を使います。以前は十数種の踊りと吹き方を伝えていました。各家を訪ね五穀豊穣と家内安全を願って祓って歩くのです。 社頭掲示板 |
宇波神社 宇波神社由来 大阪府史跡名勝天然記念物 □□村大字加納 延喜式内の神社にして埴安姫命を祀る 社域 268坪 周囲に土塀を廻らせり 社殿は南面す一に天王と称せり 日本書紀 孝元天皇妃 河内青王繋女 埴安姫命 生武埴安彦を祀る 従三位と記せり 大阪府全誌 宇波神社は北方瓦口にあり延喜式内の神社にして埴安姫命を祀れり 今は熊野と称す創建の年代は詳ならず 河内国内神名帳には神位を従三位と記せり、明治5年村社に列せられる 境内は238坪を有し本殿の他に拝殿・神饌所を存す。 末社には吉野神社・水分神社を有する。 祭日は10月16日 宇波神社の伝説 宇波神社は明治の初年まで宇婆神社の称号で祭祀されていました。宇は宇宙の宇であり空を指しています。空は物理的にも真理学的にもはかり知れない大自然の神秘です。婆は娑婆の婆であり世の中または社会を指しています。 仏語では忍土堪忍土忍界と漢訳されたものです。又婆の一字は般若経ではお釈迦様一代の経84000字の中より撰びだされたる260余文字の中の一字です。 神前にて唱え奉れば宝の御経仏前にて唱え奉れば花の御経なりと言われ神仏一体のいさせ給う真理の心教であります。 宇波神社は昔から門のある神社でした。門のあるのも仏教的な影響を受けて祭祀されたと思われますが深い因縁があるのでしょう。 浄三業印明 身口意につくる所もろもろの罪業を滅して清浄なることを得せしむる印明也 菴薩縛婆縛輪駄薩縛(あんそわばんわしゅたさつわ) 達磨娑縛婆縛輪度吟(たろまわぼんわしゅとあん) 平成7年5月28日 佐和靖石書 社頭石碑 |
宇婆神社 宇婆は假字也○祭神詳ならず○加納村に在す、今熊野と称す(河内志、同名所図会)、 神社覈録 |