忍陵神社
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   【延喜式神名帳】津桙神社 河内国 讃良郡鎮座

   【現社名】忍陵神社
   【住所】大阪府四条畷市岡山2-7-12
       北緯34度44分47秒,東経135度38分29秒
   【祭神】藤原鎌足 (配祀)熊野大神 品陀和気命 馬守大神 (合祀)大將軍神
   【例祭】10月10日 秋季大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年不詳
       明治5年(1872)村社
       明治44年馬守神社・大特軍社を合祀とともに「忍陵神社」と改称

   【関係氏族】津桙氏
   【鎮座地】元の鎭座地は讃良郡岡山村坪井 通称赤山
        のち西約500m丘陵の忍岡に移座した

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「岡山新宮大権現」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所

   【境内社】

忍陵古墳の上に鎮座する。旧社地は現在地の東方約900mの坪井地区・通称赤山にあったという。
天武天皇の御宇、役優婆塞の開基との伝承がある。
当初はこの地の豊穣を祈願して、農業神を祀つたものであろう、のちこの岡山地域の豪族津桙氏の祖神を祭るようになつたと考えられる。その後改新政府の成立によつて国家神を奉祀するようになり、応神天皇を氏族神とするに至つた。平安期になつて、蟻の熊野詣といわれる程に熊野参詣が行なはれるようになると、その御利益を願つて、熊野大神を合祀するようになつたと思われる。
明治44年、津桙神社に近隣の2社馬守神社・大特軍社を合祀とともに「忍陵神社」と改称した。
現在本殿のある所は、元和の役(大坂夏の陣)に井楼の設けられた築山という。


式内社忍陵神社

当神社はもと岡山の東方赤山に鎮座する延喜式内社、津鉾神社と岡山の南山下に鎮座する馬守社、砂に鎮座する大将軍神を合祀し、江戸時代この処に遷座し忍陵神社と称する様になった。津鉾氏の氏神又摂津住吉神社の馬守社を勧請、兵馬の神と祀り、方位方角の守り神として大将軍神を配している。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




忍陵神社

鎮座地 四条畷市岡山2-7-12
御祭神 熊野皇大神 藤原鎌足公 馬守大神  大將軍神
由緒沿革 岡山村鎮座津鉾神社・砂東村鎮座馬守社・砂西村鎮座大將軍社を明治44年12月8日国の合祀指令により津鉾神社に合祀し地婦負に因んで忍陵神社と改称し現在に至る。
津鉾神社 旧鎮座地甲可村大字岡山字八幡山1260番地
河内国讃良郡6座の1つである延喜式内社
創建時は当地の豪族津鉾氏の氏神であったが江戸期の神社縁起によると人王40代天武朝に熊野三山より熊野大神を勧請しお祀りしたと記され鎌足社は武運長久を祈って寛永11年に忍陵の古墳上にお祀りされた。
馬守神社 旧鎮座地 甲可村大字砂字宮田162番地
創建時代は不詳であるが当地域は婆娑羅馬飼部・菟野馬飼部の居住地であった事により馬ノ生育を祈って建立されたと語り伝えられている。又斉明天皇行幸地、神功皇后軍馬の安全祈願所とも云われている。
大將軍神社 旧鎮座地 甲可村大字砂字中道231番地
創建時代不詳 方位の神として日本最古の方除守護神である大將軍神を祀る。
史跡忍陵古墳 社殿東側覆屋内に古墳時代前期の前方後円墳があり堅穴式石室が保存されている。
埋葬者については不詳であるが江戸時代の古書には王子の墓と記されている。

社頭掲示板



忍陵神社

当神社は当地の豪族津桙氏の氏神として創建されたもので延長5年(927年)に選定された延喜式神名帳には河内国讃良郡鎮座津桙神社と記されており江戸期の神社縁起によれば人王40代天武朝(675年頃)に熊野皇大神を勧請、又清和朝(870年頃)に鎌足公幼少の頃当地に居住せしとの謂れより武運長久を祈り忍岡に鎌足大明神と号しお祀りした記述があります。
尚創建時は大字大岡山八幡山に鎮座し、奥之宮・下之宮と境内外地は15,000坪余を有しておりましたが、寛永11年(1634年)に忍岡の地に遷座、明治44年(1911年)に鎮座地の地名に因んで忍陵神社と改称すると共に砂東村(現在の字名奈良田畑地区周辺)の氏神馬守社と砂西村(現在の砂地区一帯)の氏神大将軍社の大神を合祀致しております。
この合祀された馬守大神は古来より牛馬畜産の神として信仰され大将軍神は日本最古の方除神として崇敬されております。
又現在の社殿は昭和9年(1934年)室戸台風により倒壊した旧社殿跡に馬守社の社殿を昭和10年(1935年)解体移築したのですが、この社殿も江戸末期(1865年)から明治初期(1880年)の建物である事が判明しております。
この社殿移築工事中に社殿東側から古墳時代前期(4世紀頃)の竪穴式前方後円墳石室が発見され、保存の覆屋が設けられ貴重な文化財(大阪府指定史跡)として現存しております。
特に忍岡の丘陵地は古代より開け栄えた処でありますが、境内東参道入り口に往時この地を訪れた歌人が詠んだ忍岡古歌を刻んだ歌碑が建立されており、又永禄6年(1563年)にはこの処が岡山キリシタン発祥の地として文献に登場、立派な教会が建っていた記述もあり、元和元年(1615年)大坂夏の陣には徳川方の本陣が設けられ江戸幕府成立に重要な役割を成した処でもあります。
この歴史ある鎮守の杜も私達の祖先が幾多の困難を乗り越えて今に継承されて来た努力を考える時この「心のふるさと」忍岡の杜を絶やす事なく次世代に引継ぐ事がこの地域に住む私達の責務であると思います。
戦後荒廃していた境内も昭和58〜9年(1993〜4年)に第一次神域整備が行われ、平成8年(1996年)に第二次境内整備として参道の補修・玉垣増設・スロープの新設・東参道鳥居の再建を行い、平成24年(2012年)秋には地域の人達の参道を得て古事記編纂1300年に事よせて御社殿を改修すると共に社務所・神具庫を再建し今に至っております。

由緒書



忍岡古墳

忍岡古墳/四條畷市
昭和9年9月の室戸台風で忍陵神社の一部が倒壊、その復旧作業中に地下から石室が発見されました。調査の結果、神社のある位置を後円部とする全長約87m、高さ約6m、後円部の直径約45mの前方後円墳の一部であることが分かりました。
保存状態が良好で原形をよくとどめており、北河内地方の貴重な古墳です。
大阪府指定文化財になっています

http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakensen/ensen/spot-sinobu.html



忍陵神社

当神社は今から1200余年前より当地域(岡山・岡山東・砂地区)の守護神 熊野皇大神(諸願成就・災難消除)、藤原鎌足公・大将軍神(日本最古の方除の神)・馬守大神(交通安全・家業反映)をおまつりしています。古くは津鉾社・大将軍社・馬守社と別々におまつりしていましたが、明治・大正時代に三社が合祀され現在の社名に改称されました。又、醍醐天皇の延長五年に定められた延喜式神名帳に記載された全国3132社ある延喜式内社(津鉾神社)の一社でもある立派な鎮守様です。この歴史ある伝統文化にささえられてきた鎮守の森には、古墳時代前期(四世紀)の前方後円墳の石積石室が現存され、府下でも貴重な文化財であり、戦国時代には、当地が軍事上大変重要な地に選ばれ、歴史上何度となく登場する処でありますが、特に大阪夏の陣では徳川方の本陣が設営され、徳川幕府に大きな役割を成した場所でもあり縁起の良い処として、御勝山と称された、由緒ある鎮守の森でもあります。

社頭掲示板



歌碑

忍の岡古歌
新後撰和歌集
待人になとかたらはで 郭公ひとり 忍の岡に鳴らん  法印 覚寛

夫木和歌集
見し人を忍の岡の 花すすき なびくは招く心地こそすれ  登蓮法師

古今集
ちはやぶる神やきりけん つくからに おとせのさかもこえぬへら也  僧正遍正

古今集
雪ふれは木ごとに花ぞ さきにける いつれを梅とわきておらまし  紀友則

境内石碑



忍陵神社

当神社は当地の豪族津桙氏の氏神として創建されたもので延長五年(九二七年)に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座津桙神社と記されており江戸期の神社縁起によれば人王40代天武朝(675年頃)に熊野三山より熊野皇大神を勧請又清和朝(870年頃)に武運長久を祈り忍岡に鎌足大明神と称しお祀りした記述があります。
 尚創建時は大字岡山八幡山に鎮座し奥之宮・下之宮と境内地は一五,〇〇〇坪余を有しておりましたが寛永11年(1859年)に忍岡の地に遷座明治44年(1911年)に鎮座地の地名に因んで忍陵神社と改称すると共に砂東村(現在の字名奈良田地区周辺)の氏神馬守社と砂西村(現在の砂地区一帯)の氏神大将軍社の大神を合祀致しております。
 この合祀された馬守大神は古来より牛馬畜産の神として崇敬され大将軍神は日本最古の方除神として崇拝されております。v  又現在の社殿は昭和9年(1935年)室戸台風により倒壊した旧社殿跡に馬守社の社殿を昭和10年(1936年)解体移築したものですがこの社殿も江戸末期(1886年)から明治初期(1887年)の建物であることが判明しております。
 この社殿移築工事中に社殿東側から古墳時代前期(4世紀頃)の竪穴式前方後円墳石室が発見され保存の覆屋が設けられ貴重な文化財(大阪府指定史跡)として現存しております。
 特に忍岡の丘陵地は古代より開け栄えた処でありますが境内東参道入り口に往時この地を訪れた歌人が詠んだ忍岡古歌を刻んだ歌碑が建立されております。
 また永禄6年(1563年)にはこの処が岡山キリシタン発祥の地として文献に登場立派な教会が建っていた記述もあり元和元年(1615年)大坂夏の陣には徳川方の本陣が設けられ江戸幕府成立に重要な役割を成した処でもあります。
 戦後荒廃していた境内も昭和58〜9年(1984〜5年)に第一次神域整備が行われ社殿の補修・社務所の改築・手水舎の新築・玉垣の建立がなされ平成8年(1997年)に第二次境内整備として参道の補修・玉垣増設・スロープの新設・東参道鳥居の再建を行い今に至っております

大阪府神社庁



忍岡古墳

この古墳は、古墳時代前期(四世紀中ごろ)に築造された全長87mの前方後円墳です。
 標高36m、河内平野を一望できるこの場所に豪族が豪華な副葬品とともに葬られていたのです。
 古墳の発見は昭和9年(1934)の室戸台風によって忍陵神社が倒壊し、その再建工事中に石室が発見されたことにはじまります。
 翌年、京都大学によって発掘調査されました。石室は、長さ6m・幅1mで、板状の石を丁寧に積み上げた立派な竪穴式石室でした。近年の研究で兵庫県猪名川産の石が使われていることが解りました。
 副葬品は、紡錘車・鍬形石・石釧や小札・剣・鉾・刀子・矢じり・鎌などが見つかりました。(京都大学総合博物館蔵)。同年、地域の方々の熱意で覆屋が建てられ保存されました。
 長い間石室を保護した覆屋ですが、平成7年(1995)の震災によって傾いたのを機に覆屋再建が計画されました。地域の方々の寄付を基盤に平成14年(2002)12月、覆屋が完成しました。このような貴重な竪穴式石室が保存され見学できるのは郷土の誇りです。
 大阪府教育委員会・四條畷市教育委員会・畷古文化研究保存会

社頭掲示板



津桙神社

津桙は都保古と訓べし○祭神詳ならず○岡山村之内坪井村に在す、(河内志、同名所図会)、

神社覈録



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