高宮神社
たかみやじんじゃ 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】高宮神社(大 月次/新嘗)河内国 讃良郡鎮座

   【現社名】高宮神社
   【住所】大阪府寝屋川市高宮373番地
       北緯34度45分22秒,東経135度38分6秒
   【祭神】天剛風命
       『神祇志』『地理志料』天剛川命
       『河内国式神私考』天照国照彦火火明櫛玉饒速日命

   【例祭】10月10日 秋季例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創祀の年月日不詳
       神護景雲4年(770)封一戸『新抄格勅符』
       貞観元年(859)従五位上『三代実録』
       明治5年(1872)郷社

   【関係氏族】高宮村主?
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本社流造
       説教所・社務所

   【境内社】

香里丘陵南端、尾根先端の上に鎭座する。
もとは見晴らしが良く寝屋川・守口が一望できたであろう。
もと若宮神社と呼ばれており、これは祭神が大社御祖神社の子神であることによる。


高宮神社

高宮には、ここ高宮神社と南東300mに鎮座する大杜御祖神社の二つに神社があり、両社とも延喜式内社で、かつ親子関係の神社です。一つの村の中でこのような類例は希有のものといえます。
祭神は『先代旧事本紀』(平安時代)に、高宮神主たちの祖先と記されている天剛風命(あめのこかぜのみこと)で、大杜御祖神社の祭神、天万魂命(あめのよろずたまのみこと)の子神にあたります。
江戸時代には、旧讃良郡内の一番の大宮として「一の宮」とも呼ばれていました。
寝屋川市

社頭掲示板



高宮神社

高宮には、高宮神社と大杜御祖神社(おおもりみおやじんじゃ)の2つの神社があり、両社とも延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、かつ親子関係の神社です。1つの村の中でのこのような類例はめずらしいことです。
祭神は『先代旧事本紀』(平安時代)に高宮神主たちの祖先と記載されている天剛風命(あめのこかぜのみこと)で、大杜御祖神社の祭神、天萬魂命(あめのよろずたまのみこと)の子神にあたります。
江戸時代には、旧讃良郡内の一番の大宮として「一の宮」ともよばれていました。
延喜式内社とは、延喜5年(905) に藤原時平らによって編纂が開始された「延喜式」(律令の施行細目を集大成した古代の法典) の巻九・十(いわゆる「延喜式神名帳」) に記載されている神社のことで、その数は神社2861社、祭神3132座にのぼります。式内社ともよばれています。

寝屋川市HP



郷社 高宮神社

祭神
 表筒男命 中筒男命 底筒男命
 息長帯姫命 平田大神
神祇志料、祭神に関して記して曰く「按旧事本紀萬魂尊の児天剛川命を高宮神主の祖とす、是に依らは本社天剛川命を祭るに似たり」と、創祀年月詳ならず、称徳天皇神護景雲4年神封一戸を充て(新抄格勅符)清和天皇貞観元年正月甲申從五位下より、從五位上に進められし事三代実録に見え、醍醐天皇延喜の制式内の大社に列り、月次、新嘗二祭の案上幣帛に預る、其他の由緒詳ならす、明治6年、郷社に定る、境内879坪(民有地第二種)、社殿は本殿、拝殿其他納屋等の建物を備ふ。

明治神社誌料



高宮神社 大月次新嘗

高宮は多加美也と訓べし、和名鈔、(郷名部)高宮、○祭神分明ならず○高宮村に在す、(河内志、同名所図会)、○旧事紀、(神代本紀)天剛川命、高宮神主等祖、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授河内國從五位下高宮神從五位上、
氏人
続日本紀、延暦3年7月癸未、右少史正六位上高宮村主田使、及同真木山等、賜姓春原連、

神社覈録



河内国INDEXへ        TOPページへ



順悠社