鴨神社
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   【延喜式神名帳】鴨神社 河内国 高安郡鎮座

   【現社名】鴨神社
   【住所】大阪府八尾市西高安町 2-22
       北緯34度38分16秒,東経135度37分58秒
   【祭神】不詳
       明治12年『大阪府神社財産登録』太田田根子命・健角身命・伊邪奈美命
       『大日本史神祇志』『神祇志料』賀茂別雷神
       『神名帳考証』『河泉神社記』大田田根子命
       『神社覈録』祭神は分明ならず

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の事情など不詳
       貞観2年(860)11月従五位下『三代実録』
       明治5年(1872)鴨神社として村社
       明治40年(1907)12月6日玉祖神社に合祀された
       大正12年大竹地区では旧社地に小祠を建てる

   【関係氏族】鴨氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「鴨森大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

大阪外環状線の西、倉庫や工場が建ち並ぶ中に鎮座する。
鴨氏が自分たちの祖神を祀つた神社と考えられるが、創立の事情など詳しいことはわからない。
中世、玉祖神社の勢力拡大にともない、鴨神社は都夫久美神社と同様、その勢力下に入つた。「玉祖大明神縁起」によると、玉祖神社は三所大明神ともいい、三神を祀つたが、その一つを鴨森大明神といった。この鴨森大明神は大竹の鴨森に鎭座する鴨神社のことである。(玉祖神社に祀る三大明神の一つ“鴨森大明神”が当社だという。)
近世、鴨森明神として大竹村の神社であつた。しかし氏神は玉祖神社である。明治5年、鴨神社として村社に列せられた。しかし氏神でないこともあつて、高安十一カ村の他の神々と同様、明治40年玉祖神社に合祀された。その後、大正12年、大竹地区では旧社地に小祠を建て、御分神を奉祀し、現在にいたっている。


鴨神社

鴨は賀茂と訓べし○祭神分明ならず〇大竹村鴨森に在す、(河内志、同名所図会)、○続日本後紀、承和3年5月丁巳、河内国人散位鴨部船主、武散位同姓氏成等賜姓賀茂朝臣、速須佐雄命之苗裔也、
連胤云、鴨は山城国賀茂、大和国葛城鴨に限らず、諸國に同名異神多し、なほ其処々にて考へ糺すべし、
類社
山城國愛宕郡賀茂別雷神社の條見合すべし

神社覈録



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