御祖神社 旧地
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   【延喜式神名帳】御組神社 河内国 高安郡鎮座

   【現社名】御祖神社
   【住所】大阪府八尾市大字窪 521
       北緯34度37分47秒,東経135度38分36秒
   【祭神】不詳
       『神社覈録』不詳
       『大日本史神祇志』賀茂御祖神
       『特選神名牒』丹波多々須玉依比売
       明治以來の府の神社調査は、すべて不詳

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の事情・時期などわからない
       貞観2年(860)11月 正五位下
       明治五年(1872)村社
       明治41年(1908)2月10日玉祖神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない)

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「日吉社」と称していた
   【社殿】
       

   【境内社】

旧社地は公園となつている。南側に大窪第二会館が建てられている。創立の事情・時期などわからない。またこの神社を氏神とした古代の氏族名も明らかでない。
江戸時代、当社は大窪村の神社であつた。しかし氏神は高安十一カ村の氏神である玉祖神社であつた。神社の位置が字比恵森といふことをみると、日吉社と呼ばれていたと思われる。
明治5年、村社に列せられ、御祖神社名も確定した。村社ではあるが、氏神でなかつたため、明治41年玉祖神社に合祀された。それ以後社殿はなく、今も跡地だけが残つている。



御祖神社

御祖は美於夜ど訓べし○祭神分明ならず○大窪村に在す、(河内志、同名所図会)、○総国風土記第廿三残欠云、高安郡御祖神社、圭田三十八束五毛田、雷神也、欽明3年始行神礼、
連胤云、総国風土記に祭神雷神といふは、鴨の縁に依れるなるべし、さては玉依姫といふべきをかくあるは論なし、故に今從はねども博覧に備ふ、抑御祖とは母神を称し、事、古事記例多し、かれ風土記に玉依姫とあれば論なきを志からず、志かれば次に鴨神社もませど、其御祖ともまた前なる高座神社の御祖とも定めがたし、恐らくは高座神社同階の神位をみれぱ、此御祖なるべし、猶後勘あるべし、
神位
三代實録、貞観2年11月丁丑朔、河内國從五位下御組神授正五位下、

神社覈録



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