天照大神高座神社
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   【延喜式神名帳】天照大神高座神社ニ座、並大月次新嘗、元号春日戸神 河内国高安郡鎮座
   【現社名】天照大神高座神社
   【住所】大阪府八尾市教興寺550番地
       北緯34度36分45秒,東経135度38分24秒
   【祭神】天照大神 高皇産霊大神
       『大日本史神祇志』『神祇志料』天照大神と高座神(高御産日神)
       『特選神名牒』天照大神と高座神(伊勢津彦命)
       『神社覈録』伊勢津彦命と伊勢津姫命
       『大日本地名辞書』天照大神と春日戸の祖神
       『式内社調査報告』天照大神と高皇産霊大神
                昭和22年までの天照大神社の時は天照大神の一神

   【例祭】7月第1日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】もと伊勢宇治山田原に鎮座
       雄略天皇23年に現地に遷座
       大同元年(806)春日戸神神封『新抄格勅符抄』
       貞観元年(859)正月春日戸神従五位上『三代実録』
       中世に教興寺の鎭守となつた
       近世も弁才天社として信仰された
       明治の神仏分離で仏教色がなくなり天照大神社と称した
       明治5年(1872)村社
       大正9年1月17日岩戸神社は天照大神社の境内末社として追加編入される
       昭和22年天照大神高座神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと伊勢宇治山田原に鎮座
        雄略天皇23年に現地に遷座

   【祭祀対象】磐座
   【祭祀】江戸時代は「岩谷弁才天社」と称していた
   【社殿】本殿は岩盤をくりぬいた岩窟の中にある
       幣殿・拝殿・神饌所・神樂所・手水舎・神庫・社務所・参集所

   【境内社】熊野神社、子守神社、愛宕神社  (摂社)岩戸神社

高安山の西山麓、谷間の巨岩を磐座として鎮座する。
天照大神の名をそのまま社名に使う神社は、延喜氏神名帳ではここが唯一の例である。
天照大神高座神社と春日戸神、両社は本來別々の神社であつたのではないかと考ヘることもできる。
社伝ではもと伊勢宇治山田原に鎮座、雄略天皇23年に遷座になつたとされている。
山の谷間の岩盤の上に本殿が鎮座している様相から見ても、原始信仰を起源とするもっと古い時代にさかのぼるとも考えられている。
中世になると、教興寺の鎮守となつたと考えられ、その間、春日戸神、あるいは天照大神高座神社としてよりは、弁才天を祀る岩谷弁才天社として信仰された。近世も弁才天社として有名で、商売繁昌の神として大坂市中の町人たちの信仰を集めた。
明治の神仏分離で、教興寺の鎮守としての弁才天社は大きく変化した。弁才天の像は教興寺に遷され、神社は天照大神社と称し、仏教色がなくなつた。天照大神社は明治5年、教興寺村の村社となつた。
大正に入つて市杵島姫命を祀る岩戸神社が天照大神社の横に新設された。大正9年岩戸神社は天照大神社の境内末社として追加編入の許可がなされた。以来、岩窟弁才天の岩戸神社といわれるようになった。
境内には白飯の瀧があつて、修行の場となつている。この滝はどのような旱天でも水が絶えることがないと言われている。



天照大神高座神社

当社は元伊勢国宇治山田原に御鎭座ありましたが、今より約1500年余年前雄略天皇23年当地に御鎮座になりました。古来皇室、国民の崇啓頗る厚く、天皇の行幸、奉幣数次に及び清和天皇の貞観元年には神階正一位を授け給ひ、醍醐天皇の延喜の制に官幣の大社に列し給ひし等御事歴高大なる古社であります。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




高座神社略記

◎御祭神 天照大神
     高皇産霊大神
◎由来 当社は元伊勢国宇治山田原に御鎮座ありましたが、今より約千五百余年前雄略天皇二十三年当地に御遷座になりました。古来皇室、国民の崇敬頗る厚く、天皇の行幸、奉幣数次に及び、清和天皇の貞観元年には神階正一位を授け給ひ、醍醐天皇の延喜の制に官幣の大社に列し給ひし等御事歴高大なる古社であります。
◎御神徳
御祭神は国土万有を産成化育し給ふ一番根元の神であり、絶体的に尊い大神であり一番心をこめて御造り下さつた人間の親神ですから我々の無事息災を御守護下さるも当然であり、古米災厄除、延命の神と尊拝せられます。
岩窟弁天岩戸・神社
◎御祭神 市杵島姫大神
当社は今より約壱千百余年前僧空海、高座神社参籠中大神の御神託により創建されたのであります、古来日本最初岩窟弁財天社とも称せられ福徳円満を主とし給ひ、又神代の昔天之高市に於て。市。のことを主宰せられ給ひ商売繁昌の守り神と仰ぎ奉ります又空海の参籠中神慮により諸病平癒に霊験著しく特に古来中風除婦人病に祈願絶えません。
白飯之滝 通称弁天之滝
社側に三丈の白飯之滝があり弘法大師修業の霊場として、日夜参藤を行ずる人絶えません。
主なる祭日
新年祭 一月一日
諸業繁栄祈願大祭 一月七日
節分祭、鎮魂祭 二月節分日
祈年祭 三月一日
教団、講社支部祭 四月中
教団本部大祭 五月上旬
例祭 七月七日
厄除火焚祭 十月上旬
新嘗祭 十二月一日
愛宕察 十二月一日
月次祭 毎月七日
特殊神事
◎方災除、地鍍祭、出産
当社御祭神は天地創造の大神産霊の大神に坐し、古来土地開墾に家屋建築に方災解除を祈請し或は星祭、厄抜い、土地抜い清めの地鎮の御祭は神社伝統の特殊神事であります
家屋新築には地鎮祭護符、安産祈願には安産帯、御守、を差上ます。

由緒書



天照大神高座神社二座 並大月次新嘗 元號春日戸神

天照大神は阿麻氏留於保美加美、」高座は多加久良と訓べし、○祭神伊勢津彦命、伊勢津姫命歟、○元號春日戸神の六字は、後人の加筆なるべし、○教興寺村、東山に在す、今弁才天と称す、(河内志、同名所図会)○神宮雑事記云、春日戸高座神ハ伊勢津彦神等石窟也、豊受大神宮度曾山田原御鎮座以後、任神勅恐口給天、春日戸神迂座于河内國高安郡也、○姓氏録、(未定雑姓山城國)春日部村主、津速魂命三世孫大田諸命之後者、
考証に、旧事紀云、天香語山命亦云高倉下命、此命随御祖天孫自天降、といふ文を引て、祭神饒速日命、高倉下命といひ、」上田百木か考には、高座神は天照大神と共に挙たれば、高御産日神を申すならむ、尾張國愛智郡高座結御子神社とあるを考合すべし、といへる共に非也、こは共に此社號に困窮しておしあてたるもの也、伊勢津彦命を天照神と称ししは、播磨國揖保郡粒坐天照神社の條を見て弁ふべし、高座は石窟をさしていふこと、雑事記の文にて明かならずや、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授河内国從五位下春日神從五位上、

神社覈録



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