この地域は若倭部連の本貫の地があろう。この若倭部連の氏神が、この神社であつたと思わる。大和時代に遡上る古い伝統を持つ神社であったと思われる。 江戸時代には八幡宮と呼ばれ、明治以後、若倭彦神社の名が確定した。 |
若倭彦神社 平野地区の産土神で建筒草命ならびに若倭彦命を祀る式内社である。 6世紀の頃この地で大いに繁栄した若倭部の連がその祖神を奉斎したものであろう。姫神は若倭姫神社(山ノ井地区)に祭祀されている。この人々は豪族の凡河内国造や尾張ノ連とも縁が深く、農耕に励み武事に長じていたと伝えらている。 古い記録には「貞観元年(859)従五位下ヲ授ク」「延喜ノ制ニ小社ニ列セラレ祈年祭並ニ鍬一ロヲ奉ル」とある。 別名を「あかざ八幡」という。 なお付近に平野山古墳群がある。 昭和60年10月 平野地区町会 社頭石碑 |
若倭彦命神社 鍬 若倭彦は和加夜麻止比古と訓べし〇祭神明か也〇平野村に在す、今権現八幡と称す、(河内志、同名所図会) 連胤 按るに、旧事紀、(天孫本紀)建筒草命、若倭部連祖、」姓氏録、(右京神別下)若倭部連、神魂命七世孫天筒草命之後也、また若倭郡、火明命四世孫建額明命之後也、」(左京神別下) 若倭部、神牟須比命十八世孫子田知之後也、とある此氏社にして、其姓により若倭彦と称しゝにもやあらむ、 類社 遠江國引佐郡若倭神社 神位 三代実録、貞観元年8月13日丙申、授河内國正六位上若倭彦神、若倭姫神、並從五位下、 神社覈録 |