鐸比古鐸比売神社
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   【延喜式神名帳】鐸比売神社 河内国 大県郡鎮座

   【現社名】鐸比古鐸比売神社
   【住所】大阪府柏原市大県4-6-1
       北緯34度35分23秒,東経135度38分3秒
   【祭神】鐸比古大神 鐸比売大神
       『神社覈録』『特選神名牒』『神社財産登録』鐸比古命

   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天正年間(1573−92)以前は神社の西南に嚴格な神主殿があった。
              『高尾神社由來誌』
       元和年中(1616−24)神主家断絶
       元禄13年(1700)文書に「高尾山ハ右高尾大宮之古跡」
       明治6年(1873)4月 郷社

   【関係氏族】大縣主?高尾忌寸?大里史?
   【鎮座地】神社は古く高尾山の山頂にあつたという

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「高尾大明神」と称していた
   【社殿】本殿本殿流造桧皮葺。建物は極彩色
       拝殿・幣殿・社務所・手水舎・納屋

   【境内社】春日神社・猿田彦神社

延喜式では鐸比古神社と鐸比売神社は二社となつているが、現在は一社となつている。
神社の背後の山を高月山(277m)と言い、山頂部は巨岩が露出していて、旧社地と伝えている。
当社の信仰は弥生時代に遡るとされる。
この付近には高地性の集落があったとが考えられ、大正14年、山頂部を少し下つたところから日本で数面しかないという多鈕細文鏡が出土した。
江戸時代『河内志』以來、大県村の高尾大明神(春日神祠)を鐸比古神社にあてているが、その根処ははつきりしない。江戸時代、高尾大明神といひながら、別に鐸比古神社とするような古伝があったのであろうか。
神社で祭神を鐸比古命、すなわち鐸石別命であると説明するようになつたのは、大正3年に鐸比古神社は和気清麻呂など和気氏の祖神である鐸石別命を祀つた神社であると主張する京都護王神社の社司半井眞澄の説以降である。
山頂は巨岩塁々としていて、鐸比古神社の旧址と伝える。一方、この山頂より6〜70m東南へ下がつたところに、また岩石の露出したところがある。周囲30間、広さ44坪で、字姫山といっている。昔から土地の人は比売御前と言っていた。ここが鐸比売神社の旧社といわれているところである。



鐸比古鐸比売神社御縁起

御祭神
鐸比古命
鐸比売命
祭日 7月31日 10月15日
由緒
鐸比古命は垂仁天皇の御子にして記紀には沼帯別命或いは鐸石別命とある。
成務天皇21年の創建と伝えられ延喜式内の古社にして従三位の神階を給う。
往古は鐸比古命は当社奥之院高尾山頂に祭祀され、高尾大明神とも称し、また鐸比売命は高尾山麓姫山に祭祀され比売御前と称した。雨乞いの勅願所でもあった。
中世現在地に祭祀されるも兵火に遭い現本殿は元禄時代の再建である。御祭神は和気清麿公の御遠祖にして岡山和気神社に御分霊が奉斎されているが、全国的に当御祭神を主神として祭祀する神社は当社と和気神社のみである。

社頭掲示板




多鈕細文鏡

切山697番地
大正14年3月、高尾山から南に300m程降った斜面で発見されました。多鈕細文鏡は2〜3個の鈕(つまみ)が鏡背の一方の縁に近いところにあり、突線による幾何学模様を配した鏡です。
モンゴル・中国東北地方などの北方系青銅器文化に出現、朝鮮半島の青銅器時代に盛行し、弥生時代に日本へもたらされました。現在日本では7面しかない貴重な鏡です。この鏡は直径21.7cm、日本では最大のもので、六つの重圏内に三角文、斜格子文、市松文が施され、さらに細かい斜線で埋められています。成分は銅67.8%、錫23.9%、鉛6.59%。昭和3年以降東京国立博物館に保管されています。
1990年3月
柏原市教育委員会

社頭掲示板



鐸比売神社

鐸は前に同じ、比売は仮字也〇祭神明か也○法善寺村高尾山頂に在す、今比売御前と称す、(河内志〇同名所図会には、鐸比古神社とす如何、)
事は前にみゆ

神社覈録



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