堅上小学校の北、山腹に鎮座する。 雁多尾畑は山上ではあるが古来より「畑千軒」などといわれ鉱工業の栄えた土地である。 中世の状況はよくわからない。早くから寺院と関係を持つて八大金剛童子社となつていたと思われるが、寺院名は伝わっていない。現在、神社境内わきの山林から石仏などが出土するので、神社と近接して寺があつたことも考えられる。 伝えでは神社はもと嶽山の嶺にあつたのを、中古今の地に移したものだといつているが、この嶽山がどこの山か現在不明である。 おそらく集落の北東、上方の山頂部付近と云われている。標高276.4mの、いま「とめしよの山」と呼ぶ山の西半部が嶽山ではないかと云われている。 嶽山は東北標高321mの頂とする説があり、現在「龍田大社本宮址」の碑が建っている。 現在の社地は山腹を削つてつくつたと思われる平地にできている。また社殿のすぐ裏には鎌倉期ごろの瓦竈跡もあるので、以前は別の場所に鎮座していたのではないか。 |
金山媛神社 当神社はおよそ千年前の、平安時代に制定された、延喜式神名帳に登載された式内社であります。 御祭神金山毘売神は、千二百余年前に書かれた、古事記によりますと、伊邪那岐命・伊邪那美命、二柱の神様よりお生まれになったと記されてあります。 この神様は古代には、場所は定かでありませんが、雁多小畑の東南、獄山の嶺に奉祀されておりましたが、中世時代に今の地に遷座されました。その間、八大金剛童子社、俗に山王さん、天王さんなどと称されておりましたが、明治8年に今の社名に改められました。 当地は古代には、鉱工業の栄えた所と思われ、その守護神として祀られたのがはじめではないかと思われます。 御祭神金山の神一族は、獄山の峰に天降りまして、獄山、龍田山を中心とする最適の場所に、鉄鋼の業を導き給ひ、周近には金吹山、焼あと等、当時を偲ばせる地名もあり、遺物も発見されて居ります。集落北方の高地には、古代製鉄を営むには風を必要とし、風神をお祀りしたと思われる、風神降臨の聖地、御座峰が伝承されて居ます。 又この地方の製鉄は文化発展の上において、鉄の重要性が増してきた弥生後期より応神河内玉朝に至るまで続けられ、多くの富を人々にお授け下さった御神徳は偉大であります。 又この神様は火の神様との御関係深く炊事を司る婦人の健康と安全を、又金属業、農土木産業、並に火に携わる諸事の安全をお守り下さる神様であります。 今も尚、当地氏子の守護神として、その信仰は脈々と伝えられ又鉄工の守護神として、金属業を営む火と、又金融業を営む人達や、御神名、金山の名の通り黄金の山の如き富をお授け下さる神様である事を信じ、各地より参詣する人々も多く、毎年の例大祭には町内御旅所へと、御神幸在らせられ華やかな賑わいを見せております。 社頭掲示板 |
金山比女神社 金山は前に同じ、比女は假字也、○祭神明か也○雁多尾畑村に在す、今山王と称す、(河内志、同名所図会) 事は前に見ゆ 神社覈録 |