森本神社[国分神社境内末社]
もりもとじんじゃ           . 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】杜本神社 二座(並名神大 月次/新嘗)河内国 安宿郡鎮座

   【現社名】森本神社
   【住所】大阪府柏原市国分市場1-6-35
       北緯34度34分9秒,東経135度38分45秒
   【祭神】経津主命
       『明治神社明細帳』祭神不詳

   【例祭】
   【社格】
   【由緒】創立年代不詳
       仁寿3年(853)杜本祭始まる『諸社根元記』
       同7月14四日遣使奉帛
       明治40年(1907)12月25日国分神社に合祀境内社となる

   【関係氏族】下村主(鋤田氏)
   【鎮座地】旧鎮座の地は大阪府柏原市国分東条町
        明治40年(1907)12月25日国分神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

大和川南岸松岳山古墳南の国分神社境内社。本殿の東北に鎮座する。
明治40年12月25日国分東条町にあった杜本神社を移転合祀した。
現在の森本神社の社殿は明治40年の合祀に際して旧地より移されたものである。
昭和47年杜本神社は旧地に社殿を再興した。


国分神社

当社は字美山にあり、その創建は詳らかではないが、古書、口伝等によれば鎌倉時代の建立によるとある。創建当時の現在地には、推古、舒明の両天皇に仕えた船氏(帰化人)が住んでおり、中国の古礼すなわち有職、接待、技術等かつて見たこともないものを伝え、その才の勲功があったと大仁後の正二位の官位を賜ったが舒明天皇の13年(641年)に没した。27年後の天智天皇の7年(668年)妻安里故能刀自も没し、同じように神社の背後の松岳山の上に葬った。その墓は前方後円墳で史跡として当社が所有している。(昭和34年に京都大学の小林行雄氏が石棺の調査をされ、四世紀末の古い墓であることが判明した。)境内地は、そのような古い歴史をもち、その後の武家政治による変遷により、船氏の地位も消失して、ここに氏人達の信仰のあった大和桜井の三輪大明神の大国主命と少彦名命、更に飛鳥部の伴造飛鳥大神の三柱を当地に勧請された。
明治5年に村社に列し、同40年字水谷の無格社杜本神社を合祀した。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




松岳山古墳

国指定史跡松岳山古墳
国分神社がある松岳山丘陵には、古墳時代前期(4世紀代)の古墳群がありました。現在、松岳山古墳といわれているのはそのうちの一基、国の史跡指定をされている美山古墳です。他の古墳は残念ながら所在地や範囲など現在判っていません。
丘陵の最高所にある松岳山古墳は、全長約120mの前方後円墳で、後円部にある竪穴式石室に長持ち形石棺が納められています。この石棺は、長さ400p、幅150〜78p、深さは75pあり、花南岩でつくられた組合せ式です。かっては朱が表面全体に塗られていたようです。底部に頭と身体が納まるように窪みがつけられ、蓋も内側が丸く堀り込まれています。
また石棺の前後には中央部に孔のあいた板状の石が立てられています。この立石がどのような役割をもっていたか不明ですが、奈良県日葉酢媛陵にも同様の例があります。石棺の中には、鉄製の刀・剣・鍬・斧などが納められていました。また、石棺のまわりからも銅鏡・勾玉などが出土しました。
その他、他の古墳からも、寛永6年(1629)に開墾された際に向山茶臼塚古墳から中国製の銅鏡三面が、東大塚古墳からは明治lO年碧玉製車輪石、歯車形石製品が、出土したと伝えられています。また、出土した年月や場所は不明ですが、この古墳から渡来系の船氏の墓誌が出土しています。これは現存するわが国最古のもので国宝に指定されています。この墓誌には表裏に文字が刻まれており、『舒明天皇13年(641)船氏の王後首(おびと)が逝去し、その後天智天皇7年(668)にその夫人が亡くなったので、いっしょに松岳山に葬った。』と記されています。古墳時代前期の松岳山古墳と7世紀に葬られた船氏の王後首と、どの様なつながりがあったのか今のところ判ってはいません。しかし、この松岳山古墳群は、この時代の貴重な品を副葬品として豊富に納めていることから、この地一帯に勢力のあった豪族の墓所と思われます。

社頭掲示板



国分神社

国分神社は鎌倉時代御宇多天皇の朝に創建されました。
御祭神は大国主命・少彦名命・飛鳥大神の三神です。例祭は夏は7月17日、秋は10月17日です。
境内の山頂は国指定の松岡山古墳です。此より出土した船氏の王後首墓誌は我が国最古のもので国宝に指定され東京の三井氏の所有であり、東京国立博物館に保管されている同じく出土した三角縁四神二獣鏡他二面は重要文化財で国分神社の所有で在り現在大阪市立美術館に保管を依頼している。

社頭掲示板



河内国INDEXへ        TOPページへ



順悠社