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安閑天皇古市高屋丘陵の南国道170号線の西に街中の小社として鎮座する。 明治41年(1904)古市駅前の白鳥神社に合祀されるという。昭和29年に復興する。 白鳥神社合祀前の鎮座地は、古屋敷邑すなわち今の古市6丁目辺り(現社地の近辺)にあったというが、羽曳野市古市5丁目8番の「姥不動明王」の地、安閑天皇皇后墓址とおぼしき丘に祀られていた八幡神とする説もある。 |
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高屋神社 高屋台地の中央南寄りの高屋集落の中にあり延喜式内の古社である。 高屋丘陵は古墳時代のころは、物部一族の系統である神別氏族の「高屋連」の本貫地であったことから、高屋連一族が氏神として創始したものと考えられる。 社伝によると、宣化天皇3年(538)勅命によってこの地に創建されたものと伝えられている。祭神は饒速日命(物部氏の遠祖)と広国押武金日命(安閑天皇)の二柱となっている。 この高屋連については、平安初期の弘仁6年(815)に編纂された新撰姓氏録の河内国神別の中に「高屋連は饒速日命の10世の孫、伊己止尼大連の後なり」と明記されているし、続日本紀の文武天皇の慶雲元年(704)6月の条に「高屋連業女の3つ児誕生」の件や、上の太子叡福寺裏山の古代墓から出土の「宝亀7年の高屋連枚人墓誌」および古市西琳寺関係文書の中にでてくる「西琳寺の僧名」からも、河内国古市郡の人、高屋連○○と記された人々を散見することができる。 社頭掲示板 |
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高屋神社 高屋は多加夜と訓べし○祭神詳ならず○古市古屋敷村に在す、(河内志、同名所図会)、今蔵王権現と称す、(名所図会)〇式廿一、(諸陵)古市高屋丘陵、(安閑天考)古市高屋墓(春日山田皇子) 姓氏録(河内國神別)高屋連、饒速日命十世孫伊己止足尼大蓮之後也、 神社覈録 |