神山の集落の中央を東條川が北流し、その西岸の台地の山腹に鎮座する。 この地方は物部氏の勢力圏にあつたことから、その祖先神として饒速日尊を祀つたものと考えられる。 神宮寺は真言宗無本寺の阿順堂であった。 境内に鎌倉期の五重石塔がある。 祭神高皇産霊尊は平安朝に勅に依り天神神山神社と称せられて、神山の地にあったが暴風の爲社殿破壊し万治3年(1660)11月鴨習太神社へ合祀。 現在の鴨習太神社は、明治時代まで「天満宮」と称し菅原道真を祀っていた神社である。万治3年(1660年)11月、附近にあった高皇産霊尊を祀る天神神山神社の社殿が暴風により破壊されたため、当社に合祀された。式内・鴨習太神社に比定された。 |
由緒 式内社「鴨習太神社」、延喜式に見える古社である。祭神は饒速日命、明治の始めまでは天満宮と呼んで、菅原道真公を祀っていたようである。境内の五重塔は鎌倉期の作。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
鴨習太神社 【所在】大阪府南河南郡河南町大字神山五九五番地 【祭神】饒速日尊 高皇産霊尊 (万治3年11月相殿合祀) 【境内末社】 一言主神社 祭神 八重事代主神 神明社 祭神 天照大神 御魂神社 祭神 八百万神 琴平神社 祭神 大物主大神 聖天社 祭神 大聖歓喜自在天 【祭祀】 歳旦祭 一月二日 秋季大祭 十月第三日曜日 もと十月十八日 【由緒】 神社の創建年代は不明であるが延長五年(927)に編纂された延喜式神名帳に河内国石川郡の式内社九座とともに記されている由緒ある古社である。 神社の所在地名が示すように[かみのやしろ]の村としで神社を中心に古い時代からひらけてさた。 古代においては神社と部族の関係は密接でたって神を中心として部族が構成されていたからで古い由緒のある神社のあるところはその神を奉斎していた部族の居住地であった。 この地は物部氏の勢力圏でありその祖先神として饒速日尊を祀ったとおもわれる。 社頭掲示板 |
鴨習太神社 神宿る 緑の森の 神山は 末代茂る 宝なるぞや 神山は字の通り神聖な土地として、鴨習太神社が建てられた。天照地照彦火明櫛玉にぎ速命(あまてらすじてらすひごほあかりくしたまにぎはやひのみこと)及び高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)を祀ったものである。 延喜7年(西暦907年)よりは古いものと思われる。中世以来、神仏習合によって、真言宗阿順堂を、神宮寺としていたようである。境内に摂社として神明社、御魂社、琴平社を祀っている。社殿の規模はさして大きくはないが、唐破風付入母屋造りで、全体が仏堂建築の様式をなしているが、空間に埋め込んだ精巧な彫刻は神社様式である。 昔の人達は、こうした神社を村の守り神として崇拝し、五穀の豊作を願い、感謝し、旬、旬には五穀をお供えし祀つたものと思われる。祀られている神の名からして天と地、即ち自然を崇め、天地異変は神のなす業と恐れて来たのではないだろうか。月日を神とも思い崇拝したものと思われる。科学が進んだ現在、太陽や月を神として、拝む人は少なくなつているかも知れない、しかし、自然の摂理宇宙の不思議さは計りしれないものである。地球温暖化が叫ばれている今日、自然の恩恵、不思議、怖さを謙虚に受け止め、先祖が崇拝した神の目標(めどう)として造られた物を、大切にし、後世に引き継いで行かねばならないと思われます。 平成17年12月社殿改修落成記念 社頭掲示板 |
鴨習太神社 鴨は加茂と訓べし、習太は奈良比多、また須陀とも読り、習一本羽に作る、さては波多也、未考へ定めず、○祭神詳ならず○神山村に在す(河内志、同名所図会)、 神社覈録 |