葛城山地と羽曳野丘陵に挾まれた狭隘部、佐備川の西岸台地の上に鎮座する。 この地は忌部氏の流れを汲む佐味氏一族の居住地であり石川郡佐備郷の産土神である。 主祭神は天太玉尊と松尾大神であるが、松尾大神は左相殿に祀る。右相殿には武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比淘蜷_を祀つている。 |
由緒 本地(大字佐備)は古来石川郡に属し、もと佐備郷の内にして一に東條佐備郷とも呼び、郷名已に廢して其の稱本地に残り佐備村と稱す。旧郷名は和名抄に「石川郡佐備」と記せり、姓氏録右京皇別に「佐味朝臣、上毛野朝臣同祖、豊城入彦命之後也」と見ゆる佐味氏一族の居りし所ならんか。字地に上佐備、中佐備、下佐備、北畑、中山といえるあり、河内志村里の條に「佐備属邑五」と記せるは、此の字地を指せるものならん。 佐備神社は字馬場にあり、延喜式内の神社にして天太玉命を主神とし、松尾大神を配祀せり。文徳天皇、天安2年正月の創建に係り、天暦、長寛、正平、文安、元録及び明治3年2月25に修復せらる。本地の産土神にして明治5年村社に列し、大正元年11月神饌幣帛料共進社に指定せらる。境域は丘阜に有りて、1457坪を有し、老松参差せり。本殿、拝殿、神饌所、社務所、土蔵を存し、末社に諏訪神社、撞賢木神社、籠守神社、寒川神社、加茂神社、菅原神社、天神社あり。天神社は素盞鳴命を祀り、もと嶽山の龍泉山城にありて大将軍祠と稱し、同城の鎮守にして楠正成の勸請せし、所なりという。 例祭は10月17日なり。尚御本殿は三社造りであるのに、文献では主神の天太玉命と松尾大社しか記載されていないが、寛文6年の御修理木札に左松尾大明神、右春日大明神と記せり、依って御本社の相殿に春日大神を祀れり。。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
佐備神社 お神楽の種類には、大きく分け宮中で行われる「御神楽」と、民間で行われる「里神楽」があります。 宮中御神楽の成立は平安時代の貞観年間(859−877)と云われ、里神楽は殆んどが江戸時代の成立と見られております。 里神楽には、伊勢神楽、出雲神楽、江戸神楽、山伏神楽、等各地に種々の神楽が伝わり、京阪神の神社には巫女神楽として、「浪速神楽」が伝承されております。 浪速神楽の起源は、諸説御座いますが、一説に依れば江戸時代中期に、京都に西の吉田家と称する神道家が居り、ここで神楽125座が編み出されて普及したと云われております。 又、神社本庁制定の祭祀舞として、豊栄舞、朝日舞等、神前神楽としましては、浦安の舞、悠久の舞、紅わらべ等が御座います。 京阪神各地の神社には、色々な形式の「浪速神楽」が伝わっておりますが、佐備神社では「冨永流浪速神楽」として、約28座を伝承しております。 これらの奉納される浪速神楽をまとめて、太々神楽と称し、戦前は神社の御祭礼日に、一日かけて奉奏されておりました。 佐備神社では、この伝統を受け継ぎ、毎年4月に「神楽祭」を行っております。 公式HP |
佐備神社 佐備は假字也、和名鈔、(郷名部)佐備、○祭神詳ならず○佐備村に在す、(河内志、同名所図会) 河内志に、上梁文曰、河内國石川郡東條佐備郷高園宮、文安元年12月23日重修、と云り、 神社覈録 |